儒家の「理」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 17:53 UTC 版)
理の観念は前漢代の思想書『淮南子』において深められた一方、戦国時代以降漢代までに道家の影響を受けた儒家文献のなかで「窮理尽性」の説がつくられて、後代に大きな影響をおよぼした。 理気説(りきせつ、Lĭ qì shuō)では、「理」は事物の法則性をあらわす概念で、「気」も事物を形づくり事物に生命を与えるガス状の物質と考えられた。程頤は、気の現象する世界の奥に、それを秩序づける存在を措定して、これを理と呼び、これを究明すること(窮理(きゅうり))が学問の要諦だとした。 朱子学(程朱学)においては、一物に一理があり、これを「理一分殊」と称した。朱子学の始祖朱熹(朱子)によれば、理は形而上のもの、気は形而下のものであってまったく別の二物であるが、たがいに単独で存在することができず、両者は「不離不雑」の関係であるとする。また、気が運動性をもち、理は無為であり、気の運動に乗って秩序を与えるとする。 陽明学の始祖として知られる明代の王陽明は、「理は気の条理、気は理の運用」という理気一体観を表明している。
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