儒教との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/10 21:44 UTC 版)
徽州は朱熹の祖先の出身地でもあり、儒家が重んじられ、一族で学業を支援する習慣があった。これが新安商人の「賈而好儒(賈にして儒を好む)」といわれる特質であり、ゆえに新安商人には「儒商」という呼び方がなされた。新安商人は他地域に活路を求め、四方に行商する一方で、ある者は科挙に及第して朝廷に出仕し多大な成功を収めた。新安商人は外地で積極的に土地所有者となり、地主となって戸籍を移した。科挙の受験は本籍地で行われるため、これは科挙においても有利に働いた。こうして徽州の人士には、比較的高い文化的素質が身に付いた。このような文化的要因が人的資本や人脈を形成し、新安商人が興起し成功した一つの重要な原因である。中国で儒商といえば、実際は新安商人に始まるものであり、徽州の商人が儒商を創造し、また儒商精神を形成し、それが伝統文化の中に融合したのである。 明代には族譜と宗祠が盛んになり、新安商人の族譜には朱熹の思想にもとづく家訓が書かれたほか、各地の新安商人は族譜編纂や宗祠建設を通して結びつきを強め、情報収集のネットワークとしても役立てた。この宗族関係の強さは、他地域の商人との競争において有利に働いた。新安商人は共同経営者や支配人、店員にも同族を重用し、僕となった者も仮の一族とされた。
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