儒教における大丈夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 14:08 UTC 版)
儒教において、大丈夫は孔子の説いた「君子」と同一視されており、特に孟子は、「常に浩然の気を養い、高い道徳的意欲を持つ理想の人間像」としてこれを定義している。また彼は縦横家の春景に同じく縦横家である公孫衍や張儀は「一人の力で天下を動かす」大丈夫であると自慢された際、それを「単に自分の利益のために行動しているに過ぎない」とした上で、 居天下之廣居 立天下之正位 行天下之大道 得志與民由之 不得志獨行其道 富貴不能淫 貧賤不能移 威武不能屈 此之謂大丈夫。 として、孔子の説く「君子」同様、仁・義・礼の三つを併せ持った人間こそが真の「大丈夫」であると反論している。
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