儒学者羅山
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林羅山の学問は、漢唐の旧注から陸象山・王陽明の学におよび、諸子百家から日本の古典にも通じたが、南宋の朱熹(朱子)の学問(朱子学)がその中心であり、特に師の藤原惺窩の没後は明確に朱熹の理気論(太極理気の論)の立場に立った。羅山は、朱子学者として、万物は「理」と「気」から成るとする理気二元論を説き、理法が諸現象を支配するのと同様に理性が情欲を支配することを理想とした(『三徳抄』)。そして、天(理気未分の太極)を自然・人文のいっさいの事物に内在化し、かつ天は気によって万象を創造し、理によって万象を主宰するものであるとして、この天のはたらき、すなわち「天道」をたすけることこそが人道であって、この人道の実践・履行が「格物」より始まると説いた。 羅山の人間論は、人間は、天理を受け、その本性は善であるが、情欲のために覆い隠されているために充分に発揮できないとするもので、学問によって宇宙をつらぬく理をきわめ、修養によって情欲を取り去るべきことを主張した。 また、万象を貫く道徳的属性を考える立場に立って、幕藩体制下の身分秩序とそこにおける実践道徳を形而上学的に基礎づけた。『春鑑抄』においては、宇宙の原理である理は、人間関係では身分として現れるとして上下定分の理を説いて士農工商の身分制度を正当化したが、これは、幕藩体制の根幹をなす身分秩序絶対化の理論であった。羅山は、同書で、国をよく治めるためには「序」(秩序・序列)を保つため、「敬」(つつしみあざむかない心)と、その具体的な現れである「礼」(礼儀・法度)が重要視されるべきことを説き、持敬(心のなかに「敬」を持ち続けること)を強調している(存心持敬)。羅山は、宇宙の原理である理をきわめれば、内に敬、外には礼として現れると説き、敬と礼が人倫の基本であり、理と心の一体化を説いたのである(居敬窮理)。 羅山の朱子学は中国から直輸入したものではなく、豊臣秀吉の朝鮮出兵を契機に流入した朝鮮朱子学を自覚的、選択的に摂取したものであるとされている。なお、「羅山」の号も、朝鮮本の『延平問答』に由来するものである。
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