下山事件とは? わかりやすく解説

下山事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 13:43 UTC 版)

下山事件(しもやまじけん)は、日本が連合国の占領下にあった1949年昭和24年)7月5日朝、国鉄総裁下山定則が出勤途中に失踪、翌7月6日未明に轢死体で発見された事件。


注釈

  1. ^ 夏時間のため現在の7月5日午後11時30分過ぎに相当。
  2. ^ 事件当日、牽引機のD51 651は主発電機が故障しており、灯具類は非常用電池で発光させていたが、前照灯は10 W相当の光量しかなく、乗員が下山の身体を視認することは不可能であった。ただし、荻谷機関助手は荒川橋梁を渡った後、綾瀬方の信号確認のため運転室から身を乗り出している間に轢断地点を通過したため、機関車の底部にバラストがバチバチと当たる音を聞き「何かをひいた」と直感したという。
  3. ^ 機関士の山本健は下山が水戸機関庫の主任であった当時、その直属の部下であった。山本は事件後まもなく胃潰瘍になり同年9月に入院、10月には腸閉塞になり腹部に人工肛門を開けられるも、翌年春に死去した。[3]
  4. ^ ただし、死後轢断は直ちに他殺を意味しない。錫谷徹『死の法医学―下山事件再考』(1983、北海道大学図書刊行会)では「生体の死後轢断」も起こりうるとしている。
  5. ^ a b c 当時は物資不足で、機関車の油に植物油を混入することは常態的に行われていたという反論もある。
  6. ^ 本事件の捜査におけるルミノール薬の使用が、日本の科学捜査における初の事例となった。現在でも時間が経過した犯罪現場などで、古いあるいは微量の血痕検出にルミノール反応は用いられている。
  7. ^ 松本は『日本の黒い霧』執筆の取材で、下山事件の捜査にあたっていた平塚八兵衛に日比谷公園内の飲食店で会った。平塚が捜査の経過を話すと、松本は最後に「じゃ、やっぱり自殺ですね」という言葉を残して帰った。平塚は「それを他殺にするとは、ふざけた話だよ」と憤慨した[7]
  8. ^ 古畑種基の息子・古畑和孝の記述によると、下山の「遺体は東大法医学教室に運ばれ、父の指揮の下、桑島直樹講師が責任者として、幾多の関係者た立会いの下執刀。その遺体には、何百カ所剖検しても、「生活反応」がなかった。特定の部位の出血を除けば。/そこで、父は確信をもって「死後轢断」と発表した。だが、「他殺」とは言わなかった。それは警察ないし検察の問題だからであった」[10]

出典

  1. ^ a b c d e Vol.25 昭和24年 戦後最大の謎、下山事件(1/3)”. 振り返る昭和. 2014年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月21日閲覧。
  2. ^ 実弟・下山常夫証言 下山事件研究会 編『資料・下山事件』みすず書房、1969年、573頁。全国書誌番号:72003843 
  3. ^ 平正一『生体れき断 : 下山事件の真相』毎日学生出版、1964年、74頁。全国書誌番号:64010595 
  4. ^ 矢田喜美雄『謀殺下山事件』講談社1973年所収 全国書誌番号:72005027、「見解の対立は続く」92ページに掲載の古畑教授の見解の抜粋。
  5. ^ 謀殺・下山事件[要文献特定詳細情報] 135ページ
  6. ^ “第一次分に三万七百 國鉄、整理を通告 残余は中旬から実施”. 朝日新聞社. (1949年7月5日). p. 1 
  7. ^ 佐々木嘉信(著)・産経新聞社(編集)『刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史』新潮文庫、2004年、p.233)
  8. ^ テレビ東京系列『ザ・真相~大事件検証スペシャル』2004年10月11日放送「プロ野球2リーグ分裂と国鉄」より。
  9. ^ 古畑種基『法医学の話』青-323、岩波書店〈岩波新書〉、1958年。 NCID BN00567291  P.25「本件では、損傷のどこにも生活反応がみつからなかったので、われわれは「死後れき断」と判定した(四五ページ参照)。」全国書誌番号:58013612
  10. ^ 『わが道』(12) 中学~高校時代に出くわした極めて大きな社会的事件②下山事件と大学受験」2020年12月14日(月)23:52更新 2021年4月29日閲覧
  11. ^ 山際永三「冤罪事件の原点としての帝銀事件」『明治大学平和教育登戸研究所資料館館報』第5巻、明治大学平和教育登戸研究所資料館、2019年9月、163-175頁、ISSN 2423-9151NAID 120006768535  p.169 から引用。
  12. ^ a b 佐々木嘉信『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』新潮社〈新潮文庫〉、2004年、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4101151717 
  13. ^ 吉松富弥氏証言 よしなしごと - 全研究 下山事件 2011年8月13日閲覧。
  14. ^ 『【昭和・平成】9大未解決事件の真犯人!』宝島社〈宝島SUGOI文庫〉、2009年、213頁。ISBN 978-4796671248 }
  15. ^ 下山事件関係資料|足立区”. 2021年1月21日閲覧。



下山事件

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日本の鉄道に関する事件」の記事における「下山事件」解説

1949年昭和24年7月5日 日本国有鉄道初代総裁下山定則出勤途中失踪翌日未明死体となって発見され事件詳細「下山事件」参照

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「下山事件」を含む「日本の鉄道に関する事件」の記事については、「日本の鉄道に関する事件」の概要を参照ください。

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