ふるはた‐たねもと【古畑種基】
古畑種基
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古畑 種基(ふるはた たねもと、1891年(明治24年)6月15日 - 1975年(昭和50年)5月6日)は、日本の法医学者。医学博士[1][2][3]。日本学士院会員[1]。東京大学名誉教授[4]。位階は正三位。科学警察研究所所長を務め、科学捜査の研究に寄与。日本の法医学の草分けの一人である。ABO式血液型の研究に若干の功績を残した。その一方でその鑑定方法は権威主義的であり、冤罪事件を多数作り出した御用学者と見なす向きもある[5]。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第15版 下』フ29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『人事興信録 第13版 下』フ106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月3日閲覧。
- ^ a b 『学位大系博士氏名録 昭和10年版』38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月5日閲覧。
- ^ a b 古畑 種基とは コトバンク。2016年11月3日閲覧。
- ^ 医学部では教えない、ある法医学者の「業績」:日経メディカル
- ^ 古畑種基博士『東紀州百科事典』東紀州ほっとネットくまどこ。
- ^ 『血液型の話』岩波新書、1962年、P43-46。
- ^ 『血液型の話』岩波新書、1962年、P52-54。
- ^ 『血液型の話』岩波新書、1962年、P52-53。
- ^ 沿革(東大法医学教室ウェブページ)
- ^ 正木ひろし『正木ひろし著作集 第1巻 首なし事件 プラカード事件 チャタレイ事件』(三省堂 1987年)34頁
- ^ 『法医学の話』 24頁
- ^ 佐々木嘉信『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』(新潮社 2004年)232頁
- ^ 佐藤博史『刑事弁護の技術と倫理-刑事弁護の心・技・体』(有斐閣、2007年)373頁
- ^ 『法医学の話』12頁
- ^ 高松地決昭和54年6月6日判時929号37頁、 https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail3?id=24459 高松高決昭和56年3月14日高刑集34巻1号1頁「第二 原決定の理由」
- ^ 木村厚『つくられた死刑囚 再審・松山事件の全貌』(評伝社 1984年)173頁
- ^ 佐藤友之、真壁旲『冤罪の戦後史 つくられた証拠と自白』(図書出版社 1981年) 45頁
- ^ 伊佐千尋『島田事件』(新風舎文庫 2005年)233頁
- ^ 正木ひろし『正木ひろし著作集 第3巻 三里塚事件 菅生事件 丸正事件 ほか7事件』(三省堂、1987年)56-62頁
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