毒物の謎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:21 UTC 版)
遺体解剖や吐瀉物や茶碗に残った液体の分析は、東京大学と慶應義塾大学で行われたが、液体の保存状態が悪く、青酸化合物であることまでは分かったものの、東大の古畑種基と慶大の中舘久平の鑑定が食い違い、100 %正確な鑑定結果は出ていない。 検視結果が東大と慶大で違った理由については諸説がある。平沢冤罪説・謀略説に立つ松本清張らは、使用毒物の正体を知られたくなかった国家やGHQが東大に秘密裏に圧力を加えたからだ、と推測する。いっぽう、医化学的にみれば、現場の警官が機転をきかせ赤みがかった遺体6体を東大に、黒ずんだ遺体6体を慶大に送ったため必然的に東大と慶大で検視結果が食い違ったにすぎず、何の不思議もない、という指摘もある。青酸カリも含めて、青酸化合物は被害者の胃液と反応することで毒性を発揮する。被害者の胃酸のpH(ペーハー)が正常値であればショック死して遺体は赤みがかり、胃酸のpHが低ければ窒息死して遺体は黒ずむ。東大は前者を検視し、慶大は後者を検視したため、結果も違ったとされる(中村2008pp.54-63)。
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