鑑定結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:35 UTC 版)
三澤教授からの鑑定書は、1993年(平成5年)8月12日に福岡高裁に提出された。三澤教授によるDNA鑑定は、対象試料からACTP2 (ACTBP2)と呼ばれるマイクロサテライトの部位をPCR法で増幅させ、そのGAAAの4塩基の反復回数でDNA型を判定するというものであった。これは、マイクロサテライトをDNA鑑定に用いた日本で初めての例となった。鑑定結果は、被害者の膣内容物が含まれたガーゼ片からは被害者と同一のDNA型しか検出されなかったが、事件現場から採取された毛髪のうちの1本(符号16-1、台紙番号10、毛髪番号1)から、輿掛と同一のDNA型が検出されたというものであった。鑑定書によれば、血縁関係にない全くの他人が同一のDNA型となる確率は0.088%とされていた。 鑑定結果に驚いた弁護団は同日中に鑑定書を入手すると直ちに内容の精査に入ったが、読めば読むほど鑑定書に多くの問題があることが明らかになった。鑑定書には「鑑定には平成三年一一月一四日から平成五年八月一〇日までの六三六日を要した」と記されているにもかかわらず鑑定書の作成日付が「平成五年七月三一日」と記されていることをはじめ、鑑定データからは11/23型となるべき輿掛のDNA型が16/36型とされているなど、基本的な点や重要な点に多くの誤りが見つかった。全26ページ(本文9ページ、註・図等17ページ)の鑑定書中で、弁護団が発見した誤りは53か所に及んだ。また、膣内容物からは被害者のDNA型しか検出されなかったが、鑑定書には「この結果は、膣内容物中に精子が付着していなかった事を積極的に裏付けるものではない。勿論、輿掛良一の精子由来のDNAが膣内容物に存在しないという結論も導き出せない」と記述され、これは鑑定人が予断をもって鑑定にあたったことを感じさせるに十分であった。さらに、0.088%という確率を導いたデータベースのサンプル数は65と少なすぎて信頼性に疑問があることに加え、添付された表から計算すると正しくは0.178%であった。なお、弁護団は鑑定書が届いて1週間後の8月19日の時点ですでに鑑定結果が誤りであることを示す決定的な証拠をつかんでいたが、輿掛と弁護団のほかにはごく一部の者にしか知らせずに切り札として温存し、当面は鑑定書の矛盾や問題点を正面から追及していくこととした。 9月21日、鑑定結果を受けての裁判所・弁護団・検察三者の打ち合わせがもたれた。「この事件はDNAで決まりでしょう。いまさら、弁護団は何をされるのですか」という金澤裁判長に対して、弁護側はいくつかの誤りを示して鑑定の杜撰さを指摘し、三澤教授の尋問を求めた。裁判所側は三澤教授の多忙を理由に筑波大学での出張尋問を提案したが、弁護側は裁判公開の原則を盾に公判での尋問を譲らず、福岡高裁で鑑定人尋問が行われることになった。この打ち合わせの翌々日の9月23日、福岡高裁に三澤教授から鑑定書に対する訂正書が届き、32か所が訂正された。刑事事件の鑑定書でこれだけの箇所が訂正されるというのは前代未聞であった。また、訂正書の作成日付は9月20日付、消印は9月22日であった。
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