鑑定人尋問
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1993年(平成5年)12月9日の第19回公判から、三澤教授に対する鑑定人尋問が行われた。三澤教授は、鑑定書の作成日付については「秘書のワープロミス」と弁明したが、鑑定試料の番号の誤りについてや、鑑定試料と同程度の古い試料を用いた予備実験をいつからいつまで行ったのか、実際の鑑定試料を用いた鑑定はいつ始めたのかなどについては「実験に関与していないので分からない」と答えた。また、弁護側の「基礎データに基づいて鑑定文が書かれるはずであるのに、基礎データと鑑定文が食い違っているということは、データの改竄や作り直しがあったのではないか」との追及に対しては「基本ルールに従った」「結論に間違いはない」と繰り返し、金澤裁判長からも「質問の意味が分かっていない」と諌められた。そして、弁護側は鑑定前の尋問で約束していた実験データ等の提出を求めた。三澤教授はこれに応じ、この公判に前後してX線写真のフィルムや測定データ等を提出した。 翌1994年(平成6年)1月26日の第20回公判でも三澤教授に対する鑑定人尋問が行われたが、この日の公判でも弁護側からの質問に三澤教授は「それは原田助教授がやった」と繰り返すばかりだった。この日の尋問では、三澤教授は鑑定作業や鑑定書作成に全く関与しておらず原田助教授に任せきりにしていたこと、実際に鑑定試料を使って鑑定作業を始めたのは鑑定書を提出した1993年(平成5年)の5月であったことが明らかになった。 三澤教授に対するDNA鑑定の委嘱は1991年(平成3年)11月14日に行われたが、そこから鑑定書提出までの経緯は、後に判明したものも含めると以下のようなものであった。 年月鑑定作業鑑定書提出見込1991年 11月 鑑定委嘱 翌年10月に提出の見込 1992年 春頃 同程度に古い試料の鑑定を試みるも判定不能ACTP2の存在を知る 9月 12月中に提出と回答 年末 ACTP2を用いた実験開始 1993年 2月 4月上旬に提出と回答 5月 鑑定試料を用いた鑑定を始めるも判定不能 7月 判定可能となり鑑定書作成 8月 鑑定書提出 三澤教授らは、鑑定を引き受けた段階で、10年前の古い試料からDNA鑑定を行う具体的な方法を知らなかった。1992年(平成4年)春まで、鑑定試料と同程度の古い試料を用いてGSTπやアポBといったマイクロサテライトで鑑定を試みたが、結果は判定不能であった。たまたまそのころイギリスの科学雑誌『ヌクレィック・アシッズ・リサーチ』にACTP2というマイクロサテライトを紹介している記事を見つけ、三澤教授らはこれを用いた鑑定を試みることにする。同年末ころから実験を始め、茨城県内の70名の血液からデータベースを作成して1993年(平成5年)4月の日本法医学会で「血痕・毛根試料からの個人識別に有効なVNTR(高変異反復配列)の検出」と題して報告し、異論が出なかったことから学会で承認された形となった。学会後の1993年(平成5年)5月から、鑑定試料を用いた鑑定作業を始め、当初は判定不能であったが7月ころから判定可能となって原田助教授によって鑑定書が作成された。三澤教授は、原田助教授から完成した鑑定書を受け取って、30分から1時間程度目を通して記名・押印して提出した。 このような経緯であったにもかかわらず、いまだACTP2を用いた実験を行う前の1992年(平成4年)9月に裁判所からの照会に対して12月中に鑑定書を提出できると回答し、鑑定試料を使った鑑定作業に入る前の1993年(平成5年)2月にも4月上旬に提出すると回答するなど、三澤教授らは裁判所や弁護団に対して虚偽の報告を繰り返していたのであった。 4月20日の第21回公判でも引き続き三澤教授に対する鑑定人尋問が行われた。ここではデータベースの信用性が問われたが三澤教授はまともに回答できず、法廷には傍聴していた統計応用学者で元明治大学教授の木下信男の高笑いが響いた。木下元教授は閉廷後に三澤教授のことを「集団遺伝学についてまったく無知」と語ったが、三澤教授は金澤裁判長からも公判中に理解不足を指摘されている。 また、この日の公判で、検察側・弁護側双方が三澤教授の鑑定書に対する意見書を提出した。検察側は、原田助教授を鑑定補助者として実験を行わせることは鑑定を委嘱する際に弁護人も了承していると主張したが、弁護側は、宣誓の上で鑑定を引き受けたのはあくまで三澤教授であり、原田助教授を鑑定補助者とすることが認められているとはいっても限度があるとして鑑定書は真正に作成されたとはいえず証拠能力がないと主張し、多忙や人員不足、鑑定に必要なアイソトープを扱う免許がないなどとして原田助教授に丸投げした三澤教授は鑑定人としての自覚や資格に欠けると厳しく指摘した。さらに、弁護側は意見書の中で、これまで隠してきた毛髪の長さの問題を初めて指摘した。
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鑑定人尋問
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鑑定人が口頭で鑑定結果を報告することを鑑定人尋問という。鑑定人尋問については、証人尋問の規定が準用される(刑事訴訟法171条)。
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