長さの問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:35 UTC 版)
弁護団が指摘した毛髪の長さの問題とは、輿掛と同一のDNA型が検出されたとする「符号16-1、台紙番号10、毛髪番号1」の毛髪が15.6センチメートルの長さがあったという点である。事件当時の輿掛の髪型はパンチパーマで、当時警察に任意提出した毛髪は最も長いものでも7センチメートルであり、一目見て輿掛のものではないと分かるものであった。実際、この「符号16-1、台紙番号10、毛髪番号1」は事件当日の1981年(昭和56年)6月28日に被害者の部屋の和室の押入れ前で採取されたもので、大分県警の科捜研から警察庁の科警研に毛髪鑑定に出す際にも、長さや形状から被害者または被害者の姉のものと判断されて対象から除かれたものであった。それでも検察側は、たまたま長いものがあったのではないかと主張した。 1994年(平成6年)6月6日の第22回公判では、実際に鑑定にあたった原田助教授に対する尋問が行われた。原田助教授は、検察側の主尋問に対して、鑑定書でいう「同一の型」とは「類似性が高い」という意味であると証言した。弁護団は、「同一の型」と「類似性が高い」では全く意味が違うと驚いたが、鑑定の信用性が揺らいできたと感じて軌道修正を図ったものととらえた。この日の弁護側の質問では、原田助教授に対してACTP2法でのDNA型の分類方法を繰り返し確認した。ACTP2法はGAAAの4塩基の繰り返し回数で判定するものであるので理論上は4塩基ごとに分類すれば良いはずであるのに、三澤鑑定では1塩基ごとで分類していたためである。しかし、実際にはACTP2に3塩基や5塩基の不規則なものもあることが分かったため1塩基単位の分類とされており、原田助教授は、この分類方法では1塩基でも違えば他人であること、また、総塩基数が同じであっても3塩基や5塩基のものも含めて結果として同一になっている可能性があり、その場合も他人であることを認めた。 7月4日の第23回公判には、事件当時の輿掛の髪の長さを立証するために弁護側の申請した3名の証人が出廷した。一人目は、輿掛の長姉であった。長姉は事件の約10か月前に執り行われた輿掛の父の葬儀の様子を写真に撮っており、そこには、短髪の輿掛が写っていた。長姉は、写真は父の葬儀の時のものであり、その前日に「喪主だからきちんとしなければいけない」と言って輿掛を散髪に行かせたと証言した。二人目に証言に立ったのは事件当時輿掛の行きつけの理容店で輿掛を担当していた理容師で、葬儀の時の写真を見て髪型は角刈りで長い部分でも1センチメートル以下であると証言した上で、人の髪は1か月に約1センチメートル伸びること、事件前に輿掛はおおむね月に1度来店してパンチパーマをかけていたこと、事件後の1981年(昭和56年)7月11日に撮影された輿掛の髪型もパンチパーマであることなどを証言した。最後に証言した大分県理容美容職業訓練協会の副会長も、葬儀の時の輿掛の髪型は角刈りで長くても1センチメートル、人の髪は1か月に約9ミリメートルから1センチメートル伸びるとし、パンチパーマをかけた髪は長くても5センチメートルであり、事件後の輿掛の写真は幾分伸びているが5から8センチメートルの長さであり、またパンチパーマは時間の経過とともに緩むことはあってもストレートになることはないと証言した。これらの証言から、輿掛の父の葬儀から事件当日までは約10か月であり、その間一度も散髪をしなかったとしても11から12センチメートルにしかならず、また、事件当時の輿掛はパンチパーマでどんなに伸びていたとしても10センチメートルを超えることはないことから、DNA鑑定で輿掛と同一のDNA型が検出されたとする15.6センチメートルの毛髪は輿掛のものではありえないことが立証された。
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