松本清張とは?

まつもとせいちょう -せいちやう 【松本清張】 ○

1909~1992小説家本名清張きよはる)。福岡県生まれ犯罪背後にある社会暗部注目する社会派推理小説のほか、昭和史や古代史の謎に挑む。著「点と線」「砂の器」「日本黒い霧」「古代史疑」など。

松本清張


松本清張(まつもと・せいちょう)

1909年(明42)、福岡県北九州市小倉生まれ文壇作家探偵小説勉強会影の会会員
1929年(昭4)、借用した左翼雑誌戦旗」が元で小倉署の留置場に入れられる。
1951年(昭26)、国鉄日本交通公社全日本観光連盟共催全国観光ポスター公募に、「天草へ」が推薦受賞
1951年(昭26)、「週刊朝日」の「百万人の小説募集に「西郷札」が三等入選し、「週刊朝日」に掲載当時朝日新聞九州支社広告部に勤務していたため、同じ朝日新聞社員を一等入選させるわけにはいかないため、降格されたという。同作同時に1951年(昭26)の第26直木賞候補となる。
1952年(昭27)、木々高太郎勧められ、「或る「小倉日記」伝」を「三田文学」に発表し、1953年(昭28)、第28芥川賞受賞。はじめは直木賞候補作だったのだが、芥川賞にまわされたもの。また、同時に日本文藝家協会の「創作代表選集 第11巻(昭和27年後期)」に収録される。
1953年(昭28)、「オール読物」に掲載された「啾啾吟」が第一オール新人佳作第一席に入選
1955年(昭30)に「文藝春秋」に発表した「家康山師」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和30年度」に収録される。
1955年(昭30)、初めての探偵小説張りこみ」を「小説新潮」に発表
1955年(昭30)、小倉から東京練馬区移住
1956年(昭31)に「オール読物」に発表した「ひとりの武将」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和31年度」に収録される。
1956年(昭31)、「小説新潮」に掲載された「顔」を中心に編まれた短編集により、1957年(昭32)、第十日本探偵作家クラブ賞受賞同時に「顔」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1956年(昭31)に「オール読物」に発表した「いびき」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和32年度」に収録される。
1957年(昭32)に「小説新潮」に発表した「地方紙を買う女」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1958年(昭33)、「点と線」を「旅」に発表し、今まで一部愛好者のものだった探偵小説解放した画期的作品となった。日本探偵小説史上、屈指の名作
1958年(昭33)に「小説新潮」に発表した「巻頭句の女」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1959年(昭34)に「文春」に発表した「上申書」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
1959年(昭34)、「文芸春秋」に掲載された「小説帝銀事件」は第16回文春秋読者賞を受賞
1960年(昭35)、「黒い福音」を「週刊コウロン」に発表。この作品は「ヒッチコックマガジン」の1961年(昭36)ベストで1位に選ばれている。
1961年(昭36)に「週刊朝日」に発表した「水の中の顔」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和36年度」に収録される。
1961年(昭36)に「小説新潮」に発表した「偶数」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)、「」を「宝石」に発表
1961年(昭36)に「婦人公論」に発表した「万葉翡翠」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)、「時間の習俗」を「旅」にて発表。この作品は「ヒッチコックマガジン」の1962年ベストで3位に選ばれている。
1962年(昭37)に「小説中央公論」に発表した「閉銷」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1962年(昭37)、日本文芸家協会理事就任
1963年(昭38)に「小説新潮」に発表した「たづたづし」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1963年(昭38)、「日本黒い霧」(1960年(昭35)文芸春秋)、「深層海流」(1961年(昭36)文芸春秋)、「現代官僚論」(1965年(昭40)文芸春秋)により、第5回日本ジャーナリスト会議受賞
1963年(昭38)、日本推理作家協会理事長就任
1964年(昭39)に「文芸春秋」に発表した「脊梁」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に「小説新潮」に発表した「六月北海道」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1965年(昭40)、「草の陰刻」を「読売新聞」に発表
1966年(昭41)、「婦人公論」に掲載された「砂漠の塩」(1965年(昭40))により、第5回婦人公論読者賞を受賞
1966年(昭41)、「新本格」を提唱する。
1966年(昭41)に「宝石」に発表した「」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1967年版」に収録される。
1967年(昭42)に「小説新潮」に発表した「家紋十二の紐<橙色の紐>」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1967年(昭42)、「週刊文春」に掲載した「昭和史発掘」、「小説現代」に掲載した「花氷」(1966年(昭41))、「逃亡」などで、第一吉川英治文学賞受賞
1968年(昭43)に「オール讀物」に発表した「山」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1969年版」に収録される。
1968(昭和43)、「Dの複合」を「宝石」に発表
1969(昭和44)、「アムステルダム運河殺人事件」を「週刊朝日カラー」に発表
1969年(昭44)に「オール讀物」に発表した「新開地の事件」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1970年版」に収録される。
1970年(昭45)、「週刊文春」に連載した「昭和史発掘」(1964年(昭39)~1971年(昭46))などで、第18菊池寛賞受賞
1970年(昭45)に「オール讀物」に発表した「奇妙な被告」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1971年版」に収録される。
1971年(昭46)、「小説現代」に掲載された「留守宅の事件」により、第三小説現代ゴールデン読者賞を受賞同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1972年版」に収録される。
1971年(昭46)、日本推理作家協会会長就任
1972年(昭47)に「小説新潮」に発表した「理外の理」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1973年(昭48)、「風の息」を「赤旗」に発表
1973年(昭48)、「ベトナム古代文化視察団長」就任
1973年(昭48)に「オール讀物」に発表した「駆ける男」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1977年(昭52)、第29NHK放送文化賞受賞
1981年(昭56)に「週刊文春」に発表した「十万分の一の偶然」が「週刊文春」の81年傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる
1987年(昭62)に「小説新潮」に発表した「紙碑」は日本文藝家協会の「現代小説 1988」に収録される。
1989年(平1)、社会派推理小説創始現代発掘などの作家活動により朝日賞受賞
1992年(平4)、肝癌のため死去



松本清張

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松本 清張(まつもと せいちょう、1909年明治42年)12月21日[1] - 1992年平成4年)8月4日)は、日本小説家




  1. ^ a b c 公式記録とされるものの誕生日。実際の誕生日は異なると考えられる。後述
  2. ^ 松本清張自身は広島で生まれたと話しているが、公式記録とされるものでは福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市小倉北区)生まれ。後述。
  3. ^ 清張の作品分野は多岐にわたるが、ここでは図録『松本清張記念館』(1998年、北九州市立松本清張記念館)の分類を参照して記述した。
  4. ^ 「松本清張の初期作品の社会性について」、『国際文化論集』第31巻第2号。
  5. ^ 江上波夫、直木孝次郎、森浩一らによる。後述
  6. ^ 森史朗 『松本清張への召集令状』(2008年、文春新書、15-16頁)参照。
  7. ^ 半藤一利らによる座談会「週刊誌創刊時代の松本清張」(『松本清張研究』第8号(2007年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  8. ^ a b c d e 郷原宏『清張とその時代』(2009年、双葉社)、33-36、386頁
  9. ^ 中国新聞、2009年4月2日、25頁
  10. ^ a b c サライ』(2012年5月号、小学館)、109頁
  11. ^ a b c d e f g ひろしま郷土資料館だより80号 平成22年(2010)11月 - 公益財団法人広島市文化財団
  12. ^ 読売新聞、1990年11月12日夕刊、5面、同インタビューはのちに『文学の森・歴史の海』としてエッセイ集『グルノーブルの吹奏』(1992年、新日本出版社)に収録、『中央公論Adagio』2009年4月25日号「特集 松本清張と日比谷を歩く」、読売メディアセンター、4頁。
  13. ^ a b c 『人物ゆかりの旧跡・文化施設事典』 日外アソシエーツ、2014年、421頁、ISBN 978-4-8169-2451-4
  14. ^ a b 【天風録】清張と広島 - 中国新聞
  15. ^ a b c 【天風録】清張の母の古里 - 中国新聞
  16. ^ 藤井康栄『松本清張の残像』(2002年、文春新書)31-35頁。
  17. ^ 『松本清張傑作選 戦い続けた男の素顔―宮部みゆきオリジナル セレクション』新潮社、306頁
  18. ^ 『半生の記』
  19. ^ [1]
  20. ^ 同新書
  21. ^ 2009年12月10日29面
  22. ^ 2009年5月28日11面
  23. ^ 郷原宏『清張とその時代』、権田萬治『松本清張 時代の闇を見つめた作家』、鷲田小彌太『あの有名人101人にみる 理想の逝き方』PHP文庫、2012年、86頁、中央公論Adagio第14号『松本清張と日比谷を歩く』、『松本清張の黒の地図帖 昭和ミステリーの舞台を旅する』、『週刊朝日百科 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄JR33』2010年3月7日発行、朝日新聞出版、34頁、『サライ小学館、2012年5月号、広島県・広島市 - 協同出版松本清張傑作選 戦い続けた男の素顔―宮部みゆきオリジナルセレクション―松本清張 アーティストページ - TSUTAYA online
  24. ^ 『松本清張研究』第12号(2011年、北九州市立松本清張記念館)巻末の「記念館だより」
  25. ^ 『松本清張書誌研究文献目録』368-372頁。
  26. ^ 『松本清張の残像』30頁参照
  27. ^ 『清張とその時代』36頁。
  28. ^ 特別展「松本清張展〜清張文学との新たな邂逅」2010年7月11日迄開催。朝日新聞広島版2010年5月8日。
  29. ^ 峯太郎の松本家への養子入りは、田中雄三郎・とよ夫妻の離別が契機。しかし雄三郎ととよはのちに復縁し(のち峯太郎の弟に当たる嘉三郎を生む)、峯太郎を田中家に返してくれるよう松本米吉に交渉したが、米吉夫妻には子供がなく、峯太郎を離さなかった。『松本清張全集 第60巻』(1995年、文藝春秋)付属の月報を参照。
  30. ^ 読売新聞、1990年11月12日夕刊、5面。同インタビューはのちに『文学の森・歴史の海』としてエッセイ集『グルノーブルの吹奏』(1992年、新日本出版社)に収録。
  31. ^ a b カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「松本清張」(1)2013年9月3日 大村彦次郎
  32. ^ 『松本清張の残像』31頁、34-35頁参照。「正式に出生届を出す前は、キヨハルは清張でなく、この字(清治)をあてていたらしい」。
  33. ^ 『松本清張の残像』31-35頁、 『清張とその時代』33-36頁、「週刊 松本清張 1号 『点と線』」ディアゴスティーニ・ジャパン、2009年10月27日発行、28-30頁)参照。
  34. ^ 『清張とその時代』、33-39頁。
  35. ^ 『人間松本清張-専属速記者九年間の記録』256頁、『霧の中の巨人 回想・私の松本清張』84頁
  36. ^ 『松本清張 その人生と文学』9頁
  37. ^ 清張の家族が下関から小倉に転居したのは小学校5年生の時とする説が有力(『松本清張の残像』、35-37頁、郷原宏 『清張とその時代』、61、62、389頁)
  38. ^ 「松本清張、少年期の詩か 大正期、小倉の同人誌に名前 発行当時は地元の小学生」西日本新聞』朝刊2018年6月14日(2018年7月11日閲覧)。
  39. ^ エッセイ「雑草の実」参照。
  40. ^ 『半生の記』参照。
  41. ^ 『週刊 松本清張』第4号(2009年) 28頁参照。
  42. ^ 『週刊 松本清張』第4号(2009年) 29頁参照。
  43. ^ 『全集 第59巻』月報。
  44. ^ 『西郷札』に関わるエピソードを自ら語ったものに「『西郷札』のころ」(『実感的人生論』(2004年、中公文庫)などに収録)、「運不運 わが小説」(エッセイ集『名札のない荷物』(1992年、新潮社)、また『松本清張全集 第65巻』(1996年、文藝春秋)に収録)がある。
  45. ^ この時の選考委員の「選評」と清張の「感想」は、『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊、2003年、文春文庫)に収録されている。
  46. ^ 朝日新聞東京本社広告部長の矢野伊三見宛て手紙では、文学で成長するためにも早く東京に出たいと述べている。手紙は『全集 59巻』月報に掲載。
  47. ^ 藤井 『松本清張の残像』末尾の年譜に加え、『松本清張全集 第60巻』(1995年、文藝春秋)付属の月報を参照。
  48. ^ 小野芳美「古代史・考古学への目覚め-朝日新聞社時代の松本清張-」(『松本清張研究』第7号(2006年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  49. ^ 清張『雑草の実』、または『文学の森・歴史の海』参照。
  50. ^ 「松本清張の初期作品の社会性について」、『国際文化論集』第31巻第2号。
  51. ^ 日本読書新聞1962年10月22日・11月12日掲載
  52. ^ 筑摩書房「世界ノンフィクション全集」は1960年4月の刊行開始であるが、探検記・旅行記・戦記などが中心の内容であった。吉村昭のノンフィクション小説「戦艦大和」が刊行されたのは1966年であるが、ドキュメンタリーあるいはルポルタージュ的内容を持ったノンフィクションが広い支持を得て、専門のノンフィクションライターが職業として成立するのはさらに後の時代である。藤井淑禎「清張 闘う作家-「文学」を超えて」(2007年、ミネルヴァ書房)中の「小説とノンフィクション」、または藤井の論文「ノンフィクションの展開」(『岩波講座 日本文学史 第14巻 20世紀の文学3』(1997年、岩波書店)収録)も参照。
  53. ^ 『なぜ「日本の黒い霧」を書いたか』(『朝日ジャーナル』1960年12月4日号))。
  54. ^ 『老公 松本清張全集66』 文芸春秋、1996年、604頁。
  55. ^ 大岡昇平「文壇論争術」 (雪華社、1962)
  56. ^ 日本推理作家協会理事長に就任した経緯に関しては、山村正夫『続々・推理文壇戦後史』(1980年、双葉社)227-233頁を参照。会長に就任した経緯、また会長職が清張一代限りとなった経緯に関しては、佐野洋『ミステリーとの半世紀』(2009年、小学館)212-216頁を参照。それまでの探偵作家クラブが「社団法人・日本推理作家協会」に改組された際、清張は百万円を出資した。これは江戸川乱歩の信託預金と共に、個人としては最高額であった。佐野の同書140頁を参照。この他、協会内での清張の活動をめぐる話題も佐野の同書を参照。
  57. ^ 『松本清張自選傑作短篇集』(1976年、読売新聞社)巻末自作解説「私の推理小説作法」。「怨霊のなぐさめ」(エッセイ集『名札のない荷物』、『全集 65巻』収録
  58. ^ 藤井康栄 『松本清張の残像』、181-182頁参照。
  59. ^ 「松本清張の時代に生きて」(『松本清張研究』第4号(2003年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  60. ^ 『二・二六事件-研究資料』
  61. ^ 『松本清張の残像』162-165頁。
  62. ^ 半藤一利・加藤陽子・宮田毬栄・藤井康栄による対談「同年に生を享けて-一九〇九年生まれの作家たち」(『松本清張研究』第10号(2009年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  63. ^ 2月25日 - 3月22日分の記録として「日記メモ」(エッセイ集『名札のない荷物』、『松本清張全集 第65巻』)がある。
  64. ^ この前にキューバ政府主催の「世界文化会議」に出席、国家元首のカストロと会見しようとしたが実現しなかった。この経緯は、元文藝春秋編集長で当時清張に同行した、岡崎満義「ジャーナリスト松本清張さんの一面」(『松本清張研究』第8号(2007年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照
  65. ^ 『潮』1968年6月号にその内容が掲載された
  66. ^ 『古代史の謎-松本清張対談』などに収録
  67. ^ 藤井康栄『松本清張の残像』(2002年、文春新書)の巻末年譜、適宜補注。
  68. ^ 「論争」については『小説推理』1974年7・10月号(清張の指摘)、9・11月号(高木の反論)参照。経緯に関しては、佐野洋『ミステリーとの半世紀』277-281頁、郷原宏『物語 日本推理小説論争史』(2013年、双葉社)第三章も参照。
  69. ^ 清張から見た創共協定の記録として、『「仲介」者の立場について-創価学会・共産党協定』(『東京新聞』1975年8月9日付掲載、『松本清張社会評論集』に収録)、『「創共協定」経過メモ』(『文藝春秋』1980年1月号掲載、『作家の手帖』(1981年、文藝春秋)に収録)がある。
  70. ^ 『松本清張対談』の第2回「戦争と貧困はなくせるか」(単行本未収録)
  71. ^ 池田大作と清張の関係に言及したものとして、前原正之「池田大作 行動と軌跡」(2006年、中央公論新社
  72. ^ 藤井らによる対談「同年に生を享けて-一九〇九年生まれの作家たち」(『松本清張研究』第10号(2009年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  73. ^ アガサ・クリスティ研究家の数藤康雄に拠れば、クイーンとの対談に先立つ1973年、ロンドン・タイムズと朝日新聞社の共同企画として、イギリスの世界的な推理作家であるクリスティと清張の対談が企画されたが、クリスティが自身の高齢(当時82歳)を理由に辞退したため実現しなかったとされている。「清張の言うクリスティの「砂袋」とは」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  74. ^ 詳細は『EQ』(光文社)1978年創刊号「対談:エラリー・クイーンvs松本清張」を参照
  75. ^ 『清張日記』(『松本清張全集 第65巻』などに収録)中、「昭和五十七年・九月五日(日)」の項
  76. ^ 山村『続々・推理文壇戦後史』(1980年、双葉社)202頁参照。
  77. ^ 『国際推理作家会議で考えたこと』。
  78. ^ 『「霧プロ」始末記』(『週刊朝日』1984年10月26日号掲載)
  79. ^ 『読売新聞』1978年7月28日付参照
  80. ^ 清張の議論は『正倉院への道』(日本放送出版協会・編著)
  81. ^ 同誌元編集長の天野敬子による「幻の歴史小説」(『松本清張研究』第12号(2011年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  82. ^ この時の取材記録は『松本清張のケルト紀行』(日本放送出版協会・共著)参照。
  83. ^ 清張の議論は『吉野ケ里と邪馬台国―清張 古代游記』(日本放送出版協会)参照
  84. ^ 新聞「ル・マタンフランス語版英語版」紙では「Matsumoto, l'intellectuel fasciné par la laideur」の見出しで紹介された。すでに『砂の器』などがフランス語に翻訳され、『ル・モンド』『リベラシオン』などの各紙で紹介されていた。仏語版『砂の器』(Le Vase de Sable)の初版には、「LE SIMENON JAPONAIS」(日本のシムノン)と書かれた帯が付されていた。 講演内容の詳細は「グルノーブルの吹奏」、または「国際推理作家会議で考えたこと」も参照。
  85. ^ 「グルノーブルの吹奏」(1988年)中の講演記録を参照。日本の作家のトリックは欧米よりもすぐれているものが多くある、とも述べている。
  86. ^ 『国際推理作家会議で考えたこと』参照。
  87. ^ 『国際推理作家会議で考えたこと』(文藝春秋1988年1月号掲載、『松本清張研究』第8号(2007年、北九州市立松本清張記念館))
  88. ^ 「『日本の黒い霧』-私はこう読んだ」(『松本清張研究』第5号(2004年、北九州市立松本清張記念館)収録)。
  89. ^ 宮田毬栄『追憶の作家たち』(2004年、文春新書)参照。
  90. ^ 「『草の径』取材随行者座談会 あの旅行は楽しかったね」(『松本清張研究』第3号(2002年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照
  91. ^ 「清張作品 スパイ説に注釈」朝日新聞2013年5月27日夕刊
  92. ^ 伊藤が官憲のスパイとされた根拠については、2013年現在、その信憑性がほぼ否定されている。詳細は伊藤の項目を参照。
  93. ^ 松本清張資料室がオープン 父の出身地・日南町で 『日本海新聞』2014年11月14日
  94. ^ “松本清張全集62冊消える 北九州の図書館「空白の1日」”. 東京新聞. (2018年9月17日) 
  95. ^ “盗まれた清張全集 ファンが寄贈、北九州の図書館”. 日本経済新聞. (2018年12月11日) 
  96. ^ 神奈川文学振興会 『特別展「巨星・松本清張」』 神奈川県立神奈川近代文学館。
  97. ^ 自身、短編の執筆を好んでいたことをはっきり言明していた。「短篇小説ほど作者の考えをはっきりとさせるものはない。(中略)エドガー・アラン・ポーや、アントン・チェーホフギ・ド・モーパッサンサマセット・モーム上田秋成の諸短篇が、他の長篇小説に比べていささかも遜色がないばかりか、かえって、そのテーマの明快さのために力強い感銘を与えている。短篇小説はたった一つだけ焦点を設定し、それに向かって可能な限り直截な方法で効果を集中させてゆく。これは短篇の形式でなければ得られない妙味である」(『松本清張短篇総集』(1963年、講談社)巻末の「書いたころ」参照)。「わたしは、どちらかというと長篇よりも短篇が好きで、短篇の数が多い。短篇は、焦点が一つに絞られて、それへの集中が端的だからである。短篇小説が長篇小説ほどに迎えられないというのはふしぎだし、書き手が長篇を多く指向するのもわからない」(『着想ばなし(15)』(『松本清張全集 第56巻』(1984年、文藝春秋)付属の月報に掲載)参照)、など。
  98. ^ 例えば、文芸評論家の平野謙は、「『或る「小倉日記」伝』から『菊枕』『断碑』などにいたる一連の作品群のなかに、松本清張の作家的真面目があるのではないか」(『平野謙 松本清張探求』(2003年、同時代社)参照)と評し、推理小説評論家の権田萬治は「むしろ短編のほうが上だという気がしてならない」(「『点と線』から『霧の会議』まで - 清張ミステリーの系譜」(『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊、2003年、文春文庫)収録)参照。)と述べている。
  99. ^ 前述の平野謙に拠る表現。平野は作者がこれらの作品の主人公へ共感を寄せると共に、その限界を客観的に洞察しているとして評価し、「私小説のように見えるが私小説ではない」「世のつねの被害者意識いっぱいの私小説をつきぬけたところがある変形私小説」(平野「純文学論争以後」(『群像』1971年10月号掲載)参照)などと評している。また、あわせてこれらの作品に後の作品の萌芽を見出し、「犯罪者への傾斜と、人間的社会的条件をひとつひとつ追求する名探偵の眼」と付け加えている。なお、芥川賞受賞時の選評において坂口安吾が、「この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり」と評したことはよく知られている。
  100. ^ エッセイ「日本の推理小説」(『随筆 黒い手帖』(1961年、中央公論社)収録)参照。
  101. ^ 尾崎秀樹「『新青年』と松本清張」(『松本清張研究』第2号(1997年、砂書房)収録)参照
  102. ^ 山村正夫『続・推理文壇戦後史』(1978年、双葉社)43頁を参照。
  103. ^ 「むだのない殺しの美学」とも訳される
  104. ^ 江戸川乱歩自伝『探偵小説四十年』(1961年、桃源社、2006年、光文社文庫など)中、「甲賀・木々論争-昭和十一・二年度」を参照
  105. ^ 乱歩の評論集『幻影城』(1951年、岩谷書店、2003年、光文社文庫など)中の「探偵小説純文学論を評す」を参照。清張『随筆 黒い手帖』、特に「推理小説の魅力」も参照。
  106. ^ 『続・幻影城』(1954年、早川書房、2004年、光文社文庫
  107. ^ 福岡隆 『人間松本清張-専属速記者九年間の記録』(1968年、大光社、1977年、本郷出版社)122-129頁
  108. ^ 日本推理作家協会『推理小説研究』第7号(1969年)。
  109. ^ 中島河太郎によれば、用語としての「社会派推理小説」の起源は荒正人によるものとされている。中島「推理小説における清張以前と以後」(『国文学 解釈と鑑賞』1978年6月号掲載)参照。
  110. ^ 清張の推理小説を「社会派」の文脈ではなく、横溝正史などの古典的探偵小説と連続した系譜に位置付ける論考として、笠井潔「壊れた人間と平和な現在 - 松本清張論」(『探偵小説論I 氾濫の形式』(1998年、東京創元社)収録)など。
  111. ^ 「日本の推理小説」参照。
  112. ^ エッセイ「グルノーブルの吹奏」(『小説現代』1988年1月号掲載、『松本清張全集 第65巻』に収録)参照。
  113. ^ 「調べ推理する楽しみ」(エッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録))。他に佐野洋との対談「清張ミステリーの奥義を探る」(『発想の原点-松本清張対談集』に収録))も参照。
  114. ^ 権田萬治『松本清張 時代の闇を見つめた作家』(2009年、文藝春秋)。
  115. ^ 「推理小説の周辺」(『随筆 黒い手帖』収録)参照。
  116. ^ 森史朗 『松本清張への召集令状』、307頁参照。
  117. ^ 晩年の清張に同行していた藤井康栄がノンフィクションは無理と判断した。「『草の径』取材随行者座談会 あの旅行は楽しかったね」(『松本清張研究』第3号(2002年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  118. ^ 「事実・発掘・史料-いま再びの「昭和史発掘」」(『現代思想』2005年3月号(青土社)収録)参照。
  119. ^ 『二・二六事件-研究資料』(1976年、文藝春秋)の「まえがき」参照。
  120. ^ 「松本清張と歴史への欲望」(『現代思想』2005年3月号収録)
  121. ^ 『私を語る-思考と提出』(『國文學 松本清張と司馬遼太郎』(1973年第18巻7号、學燈社)収録)参照。
  122. ^ 井上・上田・牧健二佐原真「松本清張『古代史疑』を考証する」(『中央公論』1967年新年号掲載)。
  123. ^ 『松本清張全集 第65巻』巻末の佐原による解説を参照
  124. ^ 「清張古代史の現在を再検討する」(『松本清張研究』第6号(2005年、北九州市立松本清張記念館)
  125. ^ 森「清張古代史を語る」(『松本清張研究』第5号(1998年、砂書房)収録)。『火の路』(2009年、文春文庫)巻末の森による解説。
  126. ^ 藤井康栄『松本清張の残像』参照。
  127. ^ 『週刊 松本清張』第7号(2009年、デアゴスティーニ・ジャパン)25頁参照。
  128. ^ 森史朗『松本清張への召集令状』、9-12頁参照。
  129. ^ 新海均『カッパ・ブックスの時代』(2013年、河出書房新社)参照。
  130. ^ 『週刊 松本清張』第7号 10頁参照。
  131. ^ 野平健一「担当記者「東名」の死」(『松本清張全集 第42巻』(1983年、文藝春秋)付属の月報に掲載)参照。
  132. ^ 宮田毬栄『追憶の作家たち』第1章参照。
  133. ^ 担当した清張作品は、重金『編集者の食と酒と』(2011年、左右社)巻末参照。
  134. ^ 「かのように」「魔唾」「佐橋甚五郎」など鷗外の作品を清張が推理小説と関連づけた文章として、「鷗外の暗示」(『森鷗外・松本清張集<文芸推理小説集I>』(1957年、文芸評論社)掲載、のちに『松本清張研究』第2号(1997年、砂書房)収録))がある。
  135. ^ 「社会派推理小説への道程」(『国文学 解釈と鑑賞』1978年6月号掲載)参照
  136. ^ 『菊池寛の文学』(『オール讀物』1988年2月号掲載、『松本清張研究』第2号(2001年、北九州市立松本清張記念館)再録)参照)。
  137. ^ その一例として、赤塚正幸・藤井淑禎・山田有策「松本清張にとって鷗外とは」(『松本清張研究』創刊号(2000年、北九州市立松本清張記念館)収録)がある。
  138. ^ 『随筆 黒い手帖』中の「推理小説の周辺」参照。詳細は『形影 菊池寛と佐佐木茂索』参照。
  139. ^ 菊池を論じた作品として、文藝春秋での佐佐木茂索との関係を軸にした『形影 菊池寛と佐佐木茂索』がある。
  140. ^ 『形影 菊池寛と佐佐木茂索』
  141. ^ 「(思い出の一冊にとどまらず)いまでも私に役立っている」(「一冊の本」(朝日新聞企画のシリーズエッセイ)1960年11月3日参照)
  142. ^ 「『小説研究十六講』の縁」(『私の文学回顧録』(青蛙房、1979年)収録
  143. ^ 鶴見による「解説-時分の花」(『松本清張全集』第34巻収録)参照)。
  144. ^ 木村「『小説研究十六講』の縁」。
  145. ^ 国文学者の石川巧による「「小説研究十六講」から「小説研究十六講」へ-菊池寛・木村毅・松本清張」(『松本清張研究』第2号(2001年、北九州市立松本清張記念館)収録)も参照。
  146. ^ 水上と井上ひさしの対談「清張さん、ちょっといい話」(『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊、2003年、文春文庫)収録)参照。
  147. ^ 「松本清張批判」(「常識的文学論」(12)、『群像』1961年12月号掲載)参照
  148. ^ 「大岡昇平氏のロマンチックな裁断」(『群像』1962年1月号掲載))。『日本の黒い霧』を歴史学的視点から検証したものとして、藤井忠俊「「日本の黒い霧」の時代認識と評価―「黒地の絵」と帝銀・下山・松川事件諸作品の資料検証」(『松本清張研究』第5号(2004年、北九州市立松本清張記念館)収録)がある。
  149. ^ 清張と司馬の対談としては、『日本の文化と日本人』(別冊小説新潮1973年1月号掲載、『文学と社会-松本清張対談集』(1977年、新日本出版社)収録)、「天下を分けた大激戦の明暗」(『司馬遼太郎の日本史探訪』(1999年、角川文庫)収録)など。
  150. ^ 清張が自らの歴史観を述べた一例として、以下のものがある。「ぼくの史観? それはイデオロギーとか、政治学ではなくて、やはり人間を、あるいは組織をですね、見下ろすんじゃなくて、底辺のところで見まわす、あるいは上を見上げるというか、そういうことだろうと思うんだ。ぼくは上から人間を描いたことがないと思いますけどね」(『文藝春秋』臨時増刊「日本の作家100人」1971年12月号)。他方、司馬は以下のように書いている。「俯瞰、上から見下ろす。そういう角度が、私という作家には適している」(司馬『歴史小説と私』(『歴史と小説』(1969年、集英社文庫など)収録))。半藤一利『清張さんと司馬さん-昭和の巨人を語る』(2002年、日本放送出版協会)も参照。
  151. ^ 「小倉をめぐる清張と鷗外」、『松本清張研究』創刊号第1号。
  152. ^ 中央公論で清張を担当していた宮田毬栄による『追憶の作家たち』(2004年、文春新書)、あるいは「松本清張の仮想敵-全集「日本の文学」をめぐって」(『松本清張研究』第2号(2001年、北九州市立松本清張記念館)収録)を参照。三島側の視点からこの件を論じたものとして、橋本治『三島由紀夫とはなにものだったのか』(2005年、新潮文庫)中の「松本清張を拒絶する三島由紀夫-あるいは、私有される現実」など。
  153. ^ 「社会派推理小説への道程」(『国文学 解釈と鑑賞』1978年6月号掲載))。山崎豊子との対談『小説ほど面白いものはない』(『小説新潮』1984年3月号掲載、山崎「小説ほど面白いものはない 山崎豊子 自作を語る3」(2009年、新潮社)に収録)中でも、三島・大江に関してほぼ同じ見解を述べている
  154. ^ 「松本清張と三島由紀夫」(『松本清張研究』第4号、1998年、砂書房に収録)
  155. ^ 『過ぎゆく日暦(カレンダー)』「昭和五十六年十一月十五日(日)」の項
  156. ^ 乱歩と清張による、記録として残っている唯一の対談「これからの探偵小説」(『宝石』1958年7月号掲載、『江戸川乱歩と13の宝石 第2集』(2007年、光文社文庫)等に収録)参照。『零の焦点』は、横溝正史『悪魔の手毬唄』や高木彬光成吉思汗の秘密』と同時期の連載。
  157. ^ 乱歩による、清張作品に対する踏み込んだ評論は特に残されていない。乱歩は『幻影城』「探偵小説純文学論を評す」では、自身の見解を「文学的本格論」と称していた。乱歩の自伝『探偵小説四十年』中の、特に「「幻影城」出版と文士劇-昭和二十五・六・七年度」の「抜打座談会」、「英訳短篇集の出版-昭和三十一年度」の「探偵小説論争」なども参照。他方、国産の本格推理の昭和20年代の状況に関しては、横溝正史や高木彬光の活動にもかかわらず、悲観的な認識を持っていた。『探偵小説四十年』中の「涙香祭と還暦祝い-昭和二十八・九年度」の「翻訳ブームの曙光」などにそうした記述があるが、清張との対談『これからの探偵小説』中でも、清張に対して同様の見解を述べている。
  158. ^ 『随筆 黒い手帖』、特に「推理小説の魅力」参照。
  159. ^ 「江戸川乱歩論」(雑誌『幻影城』1975年7月増刊号掲載、エッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録)参照。
  160. ^ 鮎川哲也は、乱歩が体調を崩したのち、清張が池袋の白雲閣に居た乱歩を訪問し、畳に手をついてお辞儀し、敬意を表現していたと伝えている。鮎川と島田荘司の対談「黄金時代の遺産を継ぐ」(鮎川・島田編集『都市の迷宮 (ミステリーの愉しみ4)』(1992年、立風書房)収録)参照。 最晩年の乱歩と清張の最後の会話(1965年6月30日)の様子については、山村正夫『続々・推理文壇戦後史』(1980年、双葉社)312-315頁を参照。清張の乱歩への弔辞は、同書322-323頁を参照。乱歩と清張の関係に触れた文献は多いが、ここでは上記注に挙げたもののほか、藤井淑禎『清張 闘う作家-「文学」を超えて』(2007年、ミネルヴァ書房)を参照した。
  161. ^ 木々はのちにこの時のことを以下のように回顧している。「この作家(清張)はね、もしも養成すれば、たいへんにいいものが出るのではなかろうか、と思って返事を出しましてね。これ(西郷札)一つじゃ困る、これくらいのものを二・三編送ってくれ、そうすれば自分も『三田文学』に紹介するつもりでいる、という返事を出した」。座談会「松本清張を語る」(『宝石』1963年6月号収録)参照。
  162. ^ 清張の木々論の一例として、『随筆 黒い手帖』(特に「推理小説の魅力」)、エッセイ「木々作品のロマン性」(日本推理作家協会編『マイ・ベスト・ミステリー(4)』(2007年、文春文庫)などに収録)など。また、木々の死去を受けて、清張は日本推理作家協会の機関誌『推理小説研究』第7号(1969年)巻頭に追悼文を掲載している。山村正夫『推理文壇戦後史・4』(1989年、双葉社)88頁も参照。
  163. ^ その一例として、『横溝正史読本』(2008年、角川文庫)中の小林信彦と横溝の対談、また栗本薫と横溝の対談「探偵小説への見果てぬ夢」(『別冊幻影城 「横溝正史IV」』(1977年No.11、株式会社幻影城)収録)、森村誠一『人間の証明』(1977年、角川文庫)の横溝による解説など。
  164. ^ その一例として、『真山仁が語る横溝正史 私のこだわり人物伝』(2010年、角川文庫)中に収録された対談での角川春樹による発言、また、真山仁による『火神被殺』(2012年、文春文庫新装版)解説など。
  165. ^ この論争の詳細は、荒正人・中島河太郎編『推理小説への招待』(1959年、南北社)を参照。
  166. ^ 森村誠一の清張観は、森村による『作家の条件』(2010年、講談社文庫)、座談会「松本清張の時代に生きて」(『松本清張研究』第4号(2003年、北九州市立松本清張記念館)収録)など参照。
  167. ^ 山村美紗から見た清張の印象を述べたものとして、エッセイ『ミステリーに恋をして』(1992年、光文社文庫)がある。
  168. ^ 西村京太郎『女流作家』『華の棺』(ともに朝日文庫)参照。
  169. ^ 島田荘司『本格ミステリー宣言』(1993年、講談社文庫)など参照。その後島田は、清張の推理小説を、自然主義と結びつけて解釈する見解を示している。Global Mystery Fusion Watch 山村教室特別講演 前半その7、「やはり救済者、清張」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)など。
  170. ^ 『松本清張短編全集01 西郷札』(2008年、光文社文庫)の島田による解説を参照。島田はノンフィクション作品『秋好英明事件』を書いているが、島田を秋好支援に熱中させたのは、これら清張作品の潜在記憶であると回顧している。
  171. ^ 宮部みゆき参加の座談会の一例として、「清張流「旅はひとりがいい」」(『松本清張研究』第3号(2002年、北九州市立松本清張記念館)収録)、「清張さんの魅力」(『文藝春秋』(2010年4月号)掲載)、「拝啓、清張先生-清張作品の魅力再発見」(『松本清張研究』第14号収録)など。
  172. ^ 森雅裕『推理小説常習犯 - ミステリー作家への13階段+おまけ』(1996年、KKベストセラーズ、2003年、講談社+α文庫)参照。
  173. ^ 林悦子 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』(2001年、ワイズ出版)中の「巨匠スケッチ」を参照。
  174. ^ 和田勉「テレビドラマと清張さん」(『状況曲線』下巻(1992年、新潮文庫)巻末に掲載)参照。
  175. ^ 藤井康栄『松本清張の残像』(2002年、文春新書)の巻末年譜、適宜補注。
  176. ^ 岡崎満義「ジャーナリスト松本清張さんの一面」参照。文藝春秋の岡崎は「社会で機能する具体的な権力の1つとして(共産党の)効用を認めていたが、観念論の網にからめとられることはなかった」と回顧している。
  177. ^ 「国会爆弾男 オカッパル一代記―反戦平和に賭けた議員生活40年」著岡田春夫 行研出版局 1987年2月刊行 ISBN 978-4905786610
  178. ^ 防衛庁「三矢作戦」の追求ー松本清張氏から資料朝日新聞社1987年1月28日朝刊
  179. ^ 場所は虎ノ門の中華料理店「晩翠軒」であった。この時も、他の推理作家に先んじ、ガードナーと直接英語で推理小説に関する議論を行っていた。『』(1995年、双葉文庫、日本推理作家協会賞受賞作全集第9巻)巻末の山村正夫による解説、または山村『続・推理文壇戦後史』(1978年、双葉社)48頁を参照。山村によれば、ガードナーは清張に「日本の推理作家はなぜ国内だけで作品を消化せず、海外マーケットの進出にもっと積極的にならないのか?」と反問したという。この件は同じく山村『続々・推理文壇戦後史』(1980年、双葉社)200頁を参照。
  180. ^ 英語力に関しては、文藝春秋関係者、海外取材同行者、エラリー・クィーンとの対談時の同席編集者など、証言多数(一例として藤井康栄『松本清張の残像』、71-77頁)。キューバ国営テレビのインタビュー番組に出演した際(1968年)も、英語でスピーチを行った。最終学歴は高等小学校卒であったが、衛生兵として朝鮮に渡った戦時中には洋書を読み、朝日新聞社勤務時には英語力のある社員をつかまえて学び、通勤時間を英会話の練習に使った。作家になり多忙になって以降も、若い外国人女性(文藝春秋の岡崎満義による)を家庭教師として雇い、日曜日に自宅で英会話の個人レッスンを受けていた。
  181. ^ 清張作品の中国での受容動向、中国人の清張観を知る資料の一例として、王成・林濤・王志松・李菁・王中忱「日本の探偵小説・推理小説と中国 その中国における受容と意味」(2006年、北九州市立松本清張記念館)、映像化作品の受容を含めて論じたものに、王成「清張ミステリーと中国-映像メディアの力」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)、特に香港での受容に焦点をあてたものとして関詩珮「メディア、流行文学とテレビ・受容-香港一九八〇年代における松本清張翻訳ブーム」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)。
  182. ^ 1961年から2009年までの清張作品の韓国語への翻訳・翻案作品一覧は、「松本清張韓国語翻訳・翻案作品目録」(『松本清張研究』第12号(2011年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  183. ^ 1980年代を中心に台湾での清張作品の受容に関して論じたものに、陳國偉「「歪んだ複写」:一九八〇年代台湾における松本清張の翻訳と受容」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)。
  184. ^ 『松本清張(新潮日本文学アルバム)』(1994年、新潮社)88頁、『松本清張全集』第66巻(1996年、文藝春秋)巻末の翻訳出版目録、および『Japanese Literature in Foreign Languages 1945-1995』(1997年、the Japan P.E.N. Club)を参照。
  185. ^ 松本清張原作のテレビドラマ一覧を参照。
  186. ^ 白井佳夫川又昴による対談「松本清張の小説映画化の秘密」(『松本清張研究』第1号(1996年、砂書房)収録)、白井・大木実西村雄一郎による対談「映画『張込み』撮影現場からの証言」(『松本清張研究』第2号(1997年、砂書房)収録)、白井・堀川弘通・西村による対談「証言・映画『黒い画集・あるサラリーマンの証言』」(『松本清張研究』第3号(1997年、砂書房)収録)、白井・橋本による対談「橋本忍が語る清張映画の魅力」(『松本清張研究』第5号(1998年、砂書房)収録)などを参照。
  187. ^ 1975年以降の出典は、林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』に拠った。
  188. ^ 『松本清張全集 第61巻』(1995年、文藝春秋)付属の月報を参照。
  189. ^ 全日本シティ銀行
  190. ^ 「無念無想でパチンコに集中していると、ふっとアイデアが浮かんでくる」とも述べている。『松本清張全集 第61巻』付属の月報を参照。半藤一利は「(清張は)とにかくパチンコが好き」で「趣味は仕事とパチンコだったといっていい」と述べている。『週刊 松本清張』第7号 25頁参照。
  191. ^ 半藤 『清張さんと司馬さん-昭和の巨人を語る』、林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』など参照。清張が来店したとわかると、パチンコ店の店員が玉を持ってきたり、コーヒーを用意する店もあったが、本人はそのように気を遣われるのを嫌がっていた。『松本清張全集 第61巻』付属の月報を参照。周囲に無関心な人の多い場所を求めて、渋谷の店舗まで足を運んでいたとの証言もある。『松本清張全集 第60巻』(1995年、文藝春秋)巻末の解説を参照。朝日新聞社勤務時代に職場の同僚としていた麻雀将棋に関しては下手で、家族にもコロコロ負けるほどであったという。『松本清張全集 第61巻』付属の月報を参照。
  192. ^ 十万分の一の偶然』(1981年、文春文庫2009年)巻末の、藤井康栄による解題を参照。夫人によれば、カメラの新製品が出るとチェックせずにはいられなかった、という。
  193. ^ 知られざるニコンの歴史 F3松本清張スペシャル(アーカイブ) 改造の仕様・工程などを現物写真を交え詳述
  194. ^ 『全集 57巻』月報。
  195. ^ 『全集 58巻』月報。
  196. ^ 以上、『全集 第62巻』(1995年、文藝春秋)付属の月報。清張の茶目っ気に関しては同文のほか、林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』164頁の例など。
  197. ^ 林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』148頁参照。
  198. ^ 『いまだ見ぬ花 - ぼくのマドンナ - 』(『日本経済新聞』1979年5月21・22日夕刊掲載、のちにエッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録)参照。
  199. ^ 瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』(2008年、日本経済新聞出版社)166-168頁参照。
  200. ^ 広告「私の選んだベストブランド」(『文藝春秋』1974年12月号掲載)参照。
  201. ^ 『週刊 松本清張』第2号(2009年)30頁参照。
  202. ^ 講演『小説と取材』(『オール讀物』1971年7月号掲載、『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊、2003年、文春文庫)収録)参照。「『波の塔』だとか、『水の炎』だとかいうような題を出しておけば、内容が推理小説であろうが、ロマン小説であろうがあるいは時代小説であろうが、あと一ヶ月のほんとうの締切りまで時間がかせげるわけであります」。
  203. ^ 『半生の記』参照。
  204. ^ 『週刊 松本清張』第12号(2010年)30頁参照。
  205. ^ 座談会「松本清張の時代に生きて」(『松本清張研究』第4号(2003年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  206. ^ 点と線』以来、清張の原稿の遅さにやきもきする編集者の逸話は多いが、『オール讀物』編集部次長の中井勝は「ゲームセンターのモグラ叩きで、清張さんをモグラに見立てて叩きまくった」と述べている。『天窓の灯』(『松本清張全集 第49巻』(1983年、文藝春秋)付属の月報に掲載)参照。他に、清張担当編集者特有の熟練を述べた、講談社開発室長の名田屋昭二による『「名人芸」のころ』(『松本清張全集 第40巻』(1982年、文藝春秋)付属の月報に掲載)もある。
  207. ^ 「『草の径』取材随行者座談会 あの旅行は楽しかったね」(『松本清張研究』第3号(2002年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。
  208. ^ 林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』中の「巨匠スケッチ」参照。
  209. ^ 福岡隆 『人間松本清張-専属速記者九年間の記録』(1968年、大光社)114頁参照。
  210. ^ 藤井康栄の上司でもあった半藤一利によれば、「相当手荒く扱われたという思い出だけを語る人もいるようです。が、それは清張さんの眼から見て、編集者として一種落第であったため、としか考えられないのです。とくに約束にたいしてズボラな者には厳しかった。清張さんの優しさにふれられなかった人は、自分で自分の胸に手をあてて考えてみたらよろしいのではないか」(半藤 『清張さんと司馬さん-昭和の巨人を語る』参照)。
  211. ^ 福岡隆 『人間松本清張-専属速記者九年間の記録』110頁参照。
  212. ^ 森本哲郎 「清張さんの秘密」(『松本清張全集 第34巻』(1974年、文藝春秋)付属の月報に掲載)参照。
  213. ^ 重金敦之 『作家の食と酒と』(2010年、左右社)参照。
  214. ^ 映画『砂の器』のラストに関して清張は、「小説じゃ書けないよ。映画でなけりゃできない、すごい」と褒めたという。また「映画化でいちばんいいのは『張込み』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』だ。両方とも短編小説の映画化で、映画化っていうのは、短編を提供して、作る側がそこから得た発想で自由にやってくれるといいのができる。この2本は原作を超えてる。あれが映画だよ」と述べたという。白井佳夫と川又昴による対談「松本清張の小説映画化の秘密」(『松本清張研究』第1号(1996年、砂書房)収録)、白井佳夫・堀川弘通・西村雄一郎による対談「証言・映画『黒い画集・あるサラリーマンの証言』」(『松本清張研究』第3号(1997年、砂書房)収録)などを参照。
  215. ^ 『全集 62巻』月報。林 『松本清張映像の世界 霧にかけた夢』89頁。





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