庄司薫とは? わかりやすく解説

しょうじ‐かおる〔シヤウジかをる〕【庄司薫】


庄司薫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 05:31 UTC 版)

庄司 薫(しょうじ かおる、1937年4月19日 - )は日本小説家。本名は福田章二(ふくだ しょうじ)。


  1. ^ 「僕の部屋の三方の壁に嵌込まれた書棚には世界文学の傑作がぎっしりと詰っている。それらの古典の中で幼い僕は育てられその文学への抱負を羽ばたかせたのだった」(福田章二『喪失』旧版あとがき、p.241、中公文庫、1973年)
  2. ^ 文藝春秋1978年5月号「同級生交歓」。
  3. ^ 「ぼくは『赤頭巾ちゃん気をつけて』の主人公とはちがい、日比谷高校においてもすでにどちらかというと『芸術派』、いや、実は『芸術派の総帥』のつもりだったのであり、日比谷高校の『芸術派』の永い栄光ある伝統を継ごうと考えていた根っからの文学青年だったのだ」(庄司薫『狼なんかこわくない』p.82、中公文庫、1973年)
  4. ^ 「ぼくは東大入学の記念写真撮影の際には、全員制服制帽の中で、男ではただ一人トックリセーターにジャンパー姿という『異端』ぶりの典型的『芸術派』だったのだ」(庄司薫『狼なんかこわくない』p.82、中公文庫、1973年)
  5. ^ 「中央公論新人賞を選んだのは、まずその第一回受賞作である深沢七郎の傑作『楢山節考』にぼくが猛烈なショックを受けていたせいだと思われるが、同時に、伊藤整武田泰淳三島由紀夫という三人の審査委員の組合せに、ぼくが大きな信頼感を抱いたためでもあった」(庄司薫『狼なんかこわくない』p.70、中公文庫、1973年)
  6. ^ 「授賞式は十月十日だったが、その式場での挨拶で、ぼくはやはり少しあがったのか、『逃げ出したい』なんてつい口走って、あとで『おかしな新人』『おかしな挨拶』などと何かの新聞や雑誌で書かれたりした」(庄司薫『狼なんかこわくない』p.88、中公文庫、1973年)
  7. ^ 福田章二を「石原慎太郎菊村到開高健大江健三郎といった作家たちが提出している文学的な問題を、単に文学的ファッションとしてだけうけとめようとする安易な態度」を持つ「無神経なエピゴーネンたち」の代表と断じ、「『頭のいい人』が緻密に計算したからといって、その結果が文学作品になるとはかぎらない」、「『必然性』を欠いた作品は文学作品としての根本的な要件を欠いているので、そのような作品を『緻密に』計画することに喜びを見出しているような精神はどこかが病んでいる。あるいはおそるべき鈍感な精神である」、「福田氏の場合、むしろ創作態度の根本にこのカマトト的態度がある」、「ここに浮遊しているミミッチイ自己満足的な『最高』への憧憬はとうてい文学者のものではない」、「ここでは『文学』が作者の自己満足のためのひとつの道具に堕落している」、「ここにいたってわれわれは遂に作者自身の卑俗な自己満足のために書かれた小説が、堂々と文学作品として大手をふって評価されるという奇妙な現象に直面したのである」という悪罵に近い辛辣な内容であった。
  8. ^ 他の出席者は河畠修と神崎信一と山川方夫であった。このとき福田は「もしあの作品(『喪失』)が江藤さんのおっしゃるところまで徹底していればその存在自体が一つの諷刺だろうと思うのですよ。ですから、あのようなつかまえ方をする時には、『喪失』がそこまで徹底していないということをむしろ衝くべきだったとそんなことを感じました」と発言したが、神崎以外の出席者たちからは「江藤さんの不満を僕はそっくりそのまま福田君に向けていいと思う」(河畠)、「福田さんの『喪失』、あそこではなにか作者のそれにもう一つ誠実さが欠けている気がして、興味が湧かなかった。文章は美しいし、センスはいいし、そういうことはたしかにあるけれども、つまりなんともなかったんです」(山川)と批判された。
  9. ^ 「進学先として法学部を有力視したことのもう一つの理由は、ほかならぬぼくの総退却の第二の基本方針である他者との比較競争からとりあえず逃げまくるということにあった」「そしてぼくは、悪名高い法学部のマスプロ講義、そこにおいては学生はみな匿名の存在となってしまう大教室講義に、むしろ或る解放感を予想した」「それにぼくの場合は、たとえば丸山真男教授に対する高等学校時代からの個人的な憧れといったものがあった」(庄司薫『狼なんかこわくない』pp.84-85、中公文庫、1973年)
  10. ^ 「この時期の彼は、エジプト学などに沈潜していたということである」(福田章二『喪失』の土居寛之による解説、p.250、中公文庫、1973年)
  11. ^ 「その小説は、『赤頭巾ちゃん気をつけて』の最後の章の原型ともいうべきもので、本屋の店先でちっちゃな女の子に生爪をはがしたばかりの足先を踏んづけられる話だった(文章もほとんど同じといっていい)」(庄司薫『狼なんかこわくない』p.175、中公文庫、1973年)
  12. ^ 芥川受賞時の「感想」と題する文章に「お前は十年間何をやってたんだ、というのは多くの方々から受けるべき質問で、勿論これについては○×式簡明さで答えられる筈もありません。でも敢えて言うならば、この十年間ぼくが考えてきたのは『男の子』いかに生きるべきか、とでも言ったことであり、ぼくがやってきたのは、すまして言えば『心の柔軟体操』とでも言うべきことでした」と書いている(庄司薫『狼なんかこわくない』p.182、中公文庫、1973年)。
  13. ^ Musicman's RELAY 第79回 中村紘子
  14. ^ 週刊文春1990年2月15日号「Catch Up ソニー社長大賀典雄氏の「還暦祝い」は一日指揮者」※ 庄司薫・中村紘子と肩を組んで写真に納まる大賀典雄のモノクログラビア。
  15. ^ a b c d e 週刊現代2007年1月6日1月13日合併号「スペシャルワイド『週刊現代』を彩った時代の主役『あの人はいま』」Part2「庄司薫"赤頭巾ちゃん"は余生も安泰」。
  16. ^ 「サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を思わせる軽妙な語り口をもつ、ある覚醒の物語です」(加藤典洋『小説の未来』朝日新聞社2004年
  17. ^ 「『ライ麦畑でつかまえて』の邦訳によく似た軽妙な山の手風言葉で語られる一人称小説」(高田里惠子『グロテスクな教養』ちくま新書2005年


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