辻原登とは? わかりやすく解説

つじはら‐のぼる【辻原登】

読み方:つじはらのぼる

1945〜 ]小説家和歌山生まれ本名村上博。「村の名前」で芥川賞受賞。他に「翔(と)べ麒麟(きりん)」「遊動亭円木」「枯葉の中の青い炎」「花はさくら木」など。


辻原登

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/03 12:44 UTC 版)

辻原 登
(つじはら のぼる)
誕生 村上 博(むらかみ ひろし)
(1945-12-15) 1945年12月15日(79歳)
日本和歌山県印南町
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本
教育 専門士
最終学歴 文化学院専門課程
活動期間 1985年 -
ジャンル 小説
代表作 『村の名前』(1990年)
『翔べ麒麟』(1998年)
『遊動亭円木』(1999年)
『花はさくら木』(2006年)
『許されざる者』(2009年)
『冬の旅』(2013年)
主な受賞歴 芥川龍之介賞(1990年)
読売文学賞(1999年)
谷崎潤一郎賞(2000年)
川端康成文学賞(2005年)
大佛次郎賞(2006年)
毎日芸術賞(2010年)
芸術選奨(2011年)
司馬遼太郎賞(2012年)
紫綬褒章(2012年)
伊藤整文学賞(2013年)
毎日出版文化賞(2013年)
日本芸術院賞恩賜賞(2016年)
旭日中綬章(2024年)
デビュー作 『犬かけて』(1985年)
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辻原 登(つじはら のぼる、本名は村上 博1945年12月15日 - )は、日本小説家横浜市保土ケ谷区在住。神奈川近代文学館前館長・公益財団法人神奈川文学振興会前理事長(現在は理事)。日本芸術院会員、文化功労者

来歴・人物

生い立ち

1945年和歌山県日高郡切目村(現在の印南町)に父・村上六三、母・絹子の次男として生まれる。兄弟は1歳半で亡くなった兄のほかに弟がいる。[1]

切目は熊野三山の入り口に位置する村。南の岬が切目崎で、悲劇の皇子として知られる有間皇子がここで挽歌を詠んだ。村には梛(なぎ)を神木とする切目王子神社がある。切目王子神社は熊野古道九十九王子の中で特に格式の高い五体王子のひとつ。[2]

父・村上六三(1916-1970)は和歌山師範を卒業し、戦前戦中は上海の日本人学校で教鞭を執り、戦争末期に帰国。戦後は日高郡内の山間の小学校の校長となるが、日教組(日本教職員組合)執行部に入り社会主義者として政治活動を行うようになった。1955年に日本社会党の和歌山県議会議員となり、日中友好協会の運営にも携わる。1957年には中国経由で北朝鮮へ入る友好使節団に加わり、北京では毛沢東周恩来、平壌で金日成と団員のひとりとして会談した。1968年、県議会議員4期半ばで参議院議員通常選挙和歌山県選挙区に出馬するも落選。その後日中友好運動と山岸会の活動に専念した。[3][4]

幼年時代の一番初めの記憶は父が校長を務めた山間の小学校の教室や職員室で遊んだ3、4歳のころのもの。5歳で父の郷里・切目村に移り住む。この海辺の村で少年時代を過ごし、浜野球とチャンバラごっこに興じる。[4]映画狂で隣町の田辺の5つの映画館に通う。[5]

1958年、村の外に出たいという思いが強くなり、地元の中学には進まず、自分の希望で受験した和歌山大学教育学部附属中学校に入学。和歌山市内の知人の家に下宿した。「チボー家の人々」を読む。小説を書くようになり、家出も経験する。[4][6]

1961年、大阪学芸大学附属高等学校(現・大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎)に入学し、大阪に下宿。[1]17歳の時、映画監督になることを目指し夜行で東京へ。父のライバルの辻原弘市議員の家に転がり込むも、家からの迎えに連れられ戻る。[3]高校時代はサルトル影響を受け、家の会に参加し同志社大鶴見俊輔研究室に通った。[7]1962年12月には、山岸会にも参画し、三重県春日実顕地で半年間暮らした[1](後年、この行動について「ユートピアに興味があって」と語っている)[8]。家の会の影響で高校生による思想的総合雑誌として、仲間と同人雑誌「太陽」を発行(三号まで)する。学校新聞にサルトルの『自由への道』を真似て大阪を舞台とした小説を連載。[7]


大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎卒業後上京、文化学院文科卒業。同人誌「第2次文学共和國」に参加、1967年田辺市に戻り、家事に従事。同年度の第5回文藝賞にて「ミチオ・カンタービレ」で佳作を受賞(本名名義)。1970年再上京し、中国関係の貿易会社に就職。電算機会社コスモ・コンピュータ・ビジネスに勤務する傍ら、1985年に中編小説「犬かけて」で作家デビュー。1986年、同作品で第94回(昭和60年下半期)芥川賞候補。

1990年に、中国の奥地を舞台とし、生まれ育った和歌山県の面影もモチーフとした、中編小説「村の名前」で第103回(平成2年上半期)芥川賞を受賞。主人公の名、橘博の橘は、辻原が生まれ育った土地の名家から取ったもの。橘は和歌山県に比較的多い姓である。

1992年会社を総務部長で退職、執筆に専念。1999年長編小説『翔べ麒麟』で第50回読売文学賞受賞。2000年短編連作小説集『遊動亭円木』で第36回谷崎潤一郎賞受賞。2001年東海大学文学部文芸創作学科教授

2005年、後に合併球団となるトンボ・ユニオンズ(1956年に消滅)に所属する選手を描いた短編小説「枯葉の中の青い炎」で第31回川端康成文学賞受賞。本作品が収録された同題の作品集には、1963年(昭和38年)の夏の甲子園大会に初出場した、和歌山県立南部高等学校選手をモデルとした「野球王」も収められている。2006年長編小説『花はさくら木』で第33回大佛次郎賞受賞。2008年三島由紀夫賞選考委員。2010年長編小説『許されざる者』で第51回毎日芸術賞受賞。同年東海大学を定年退任。2011年長編小説『闇の奥』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2012年 『韃靼の馬』で第15回司馬遼太郎賞受賞。同年春の叙勲にて、紫綬褒章を受章。2013年長編小説『冬の旅』で伊藤整文学賞受賞。

関西大学客員教授(2008年など)も務めた。 2012年から2025年まで神奈川近代文学館館長・理事長を務めた。

2024年現在、三島由紀夫賞、川端康成文学賞日経小説大賞、読売文学賞、大佛次郎賞、和辻哲郎文化賞群像新人文学賞、金魚屋新人賞、ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考委員。2010年に織田作之助賞を主催する大阪文学振興会会長に就任。

賞歴

栄典

作品一覧

小説

  • 『村の名前』(文藝春秋、1990)のち文庫
    • 村の名前 (『文學界』1990年6月)
    • 犬かけて (『文學界』1985年11月)
  • 『百合の心』(講談社、1990)のち文庫「百合の心・黒髪その他の短編」
    • 百合の心
    • はらんきょ
    • 野の寂しさ
    • 黒髪
  • 『森林書』(文藝春秋、1994)
  • 『マノンの肉体』 (講談社・1994 のち文庫)
    • 片瀬江ノ島(『群像』1992年9月)
    • マノンの肉体(『群像』1994年4月)
    • 戸外の紫(『群像』1989年5月)
  • 『家族写真』(文藝春秋、1995)のち河出文庫 
    • わが胸のマハトマ
    • 谷間
    • 光線の感じ
    • 緑色の経験
    • 塩山再訪
    • 松籟
  • 『だれのものでもない悲しみ』(中央公論社、1995)のち文庫 
  • 『黒髪』(講談社・1996)
    • 黒髪 (『群像』1996年2月)
    • 十三月 (『文學界』1987年6月)
  • 『翔べ麒麟』(読売新聞社・1998 のち文春文庫、角川文庫)
  • 『遊動亭円木』(文藝春秋・1999 のち文庫)
    • 遊動亭円木(『文學界』1997年8月)
    • 大切な雰囲気(『文學界』1998年4月)
    • 短夜の雨(『文學界』1998年8月)
    • 夜が安莉に駆けこむ(『文學界』1998年9月)
    • 探偵(『文學界』1998年10月)
    • 金魚(『文學界』1998年11月)
    • 強きうなし(『文學界』1998年12月)
    • 笑いの郷(『文學界』1999年1月)
    • 足にさわった女(『文學界』1999年3月)
    • べけんや(『文學界』1999年4月)
  • 『発熱』(日本経済新聞社・2001年 のち文春文庫)
    • 発熱 (『日本経済新聞』2000年4月4日~01年4月24日)
  • 『約束よ』(新潮社・2002年)
    • 約束よ
    • 青葉の飛翔
    • かみにさわった男
    • 窓ガラスの文字
    • 河間女
    • かな女への牡丹
    • この世でいちばん冴えたやりかた
  • 『ジャスミン』(文藝春秋・2004年 のち文庫)
  • 『枯葉の中の青い炎』(新潮社・2005年 のち文庫)
    • ちょっと歪んだわたしのブローチ(『新潮』2004年2月)
    • 水いらず(『小説新潮』2003年11月)
    • 日付のある物語(『群像』1997年1月)
    • ザーサイの甕(『新潮』2003年1月)
    • 野球王(『新潮』2002年1月)
    • 枯葉の中の青い炎(『新潮』2004年8月)
  • 『花はさくら木』(朝日新聞社・2006年 のち文庫)
    • (『朝日新聞』2005年4月17日~11月27日)
  • 『夢からの手紙』(新潮社・2006年)
    • 改題・文庫化『恋情からくり長屋』(新潮文庫・2014年)
  • 『円朝芝居噺 夫婦幽霊』(講談社・2007年 のち文庫) 
  • 『許されざる者』(毎日新聞社・2009年 のち集英社文庫)
    • (『毎日新聞』2007年7月11日~09年2月28日)
  • 『抱擁』(新潮社・2009年) 
  • 『闇の奥』(文藝春秋・2010年 のち文庫 2013) 
  • 『韃靼の馬』(日本経済新聞社・2011年 のち集英社文庫)
    • (『日本経済新聞社』2009年11月1日~2011年1月21日)
  • 『父、断章』(新潮社・2012年)
  • 『冬の旅』(集英社・2013年 のち文庫)
    • (『すばる』2011年8月号~2012年8月号)
  • 寂しい丘で狩りをする』(講談社、2014年 のち文庫)
  • 『Yの木』(文藝春秋、2015年)
  • 『籠の鸚鵡』(新潮社・2016年 のち文庫)
  • 『不意撃ち』(河出書房新社・2018年のち集英社文庫)
  • 『卍どもえ』(中央公論新社・2020年)
    • (『中央公論』2017年8月~2018年6月号・2018年8月号~2019年9月号)
  • 『隠し女小春』(文藝春秋・2022年)
    • (『文學界』2020年9月~2021年12月号)
  • 『陥穽 陸奥宗光の青春』(日本経済新聞社・2024年7月)

評論・エッセイ

  • 『創業者は七代目―ジャスコ会長、岡田卓也の生き方』(毎日新聞社・1995)
  • 『退屈している暇はない ―コスモ・コンピュータ・ビジネスという会社の場合』(日本デザインクリエーターズカンパニー・1996)
  • 『熱い読書冷たい読書』(マガジンハウス・2000年 のちちくま文庫)
  • 『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社・2010年 のち文庫)
  • 『熊野でプルーストを読む』ちくま文庫、2011 
  • 『東大で文学を学ぶ ドストエフスキーから谷崎潤一郎まで』(朝日選書・2014年) 
  • 『辻原登の「カラマーゾフ」新論 ドストエフスキー連続講義』(光文社・2017年)

共著・編著

  1. ^ a b c 佐藤春夫記念館『許されざる者の世界と辻原登文学ワールド 略年譜』2009年。 
  2. ^ 辻原登『父・断章』新潮社、2012年、9頁。 
  3. ^ a b 辻原登『父・断章』新潮社、2012年、10頁。 
  4. ^ a b c 辻原登「私の原点・視点」「ラジオNIKKEI」ポッドキャスト2022年2月24日
  5. ^ 『新版 熱い読書、冷たい読書』ちくま文庫、2013年、20頁。 
  6. ^ 「辻原登小説文学を語る」前編”. Web文學金魚インタビュー (2025年9月3日). 2025年9月3日閲覧。
  7. ^ a b 朝日新聞. 
  8. ^ 亀山郁夫・辻原登 (2024秋). “館長の作家対談”. 世田谷文学館ニュース (83). 
  9. ^ 春の褒章、役所広司さんら674人”. 日本経済新聞 (2012年4月28日). 2023年3月29日閲覧。
  10. ^ 文化勲章・文化功労者の業績 2022年度”. 日本経済新聞 (2022年10月25日). 2023年2月13日閲覧。
  11. ^ 『官報』号外第106号、令和6年4月30日
  12. ^ “春の叙勲、黒田前日銀総裁ら4108人 桐花に大谷直人氏”. 日本経済新聞. (2024年4月29日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA26D3M0W4A420C2000000/ 2024年5月6日閲覧。 
  13. ^ 海老沢類「辻原登さん 長編「寂しい丘で狩りをする」 義憤から真の救い求めて」『産経新聞産業経済新聞社、2014年4月2日。オリジナルの2020年9月14日時点におけるアーカイブ。2020年9月14日閲覧。

関連項目

  • 橘和彦

外部リンク




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