海老原一郎とは? わかりやすく解説

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海老原一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/05 14:16 UTC 版)

海老原一郎
生誕 1905年8月4日
東京市
死没 (1990-05-07) 1990年5月7日(84歳没)
東京都品川区旗の台
国籍 日本
出身校 東京美術学校
職業 建築家
受賞 日本芸術院賞(1971年)
勲三等瑞宝章(1980年)
所属 海老原建築事務所
建築物 尾崎記念会館
ディックビル
川村記念美術館

海老原 一郎(えびはら いちろう、1905年8月4日 - 1990年5月7日)は日本の建築家日本芸術院会員。

略歴

東京府生まれ。本所区の府立第三中学校卒業。1924年、東京美術学校東京芸術大学美術学部の前身)建築科に入学[1]

在学中に山口文象と知り合い、近代建築運動団体・創宇社建築会(1923年結成)に参加。1929年の創宇社第6回展・第7回展、1930年の第8回展に、労働診療所、労働者アパートメント、消費組合食堂などの作品を出品した。

1930年3月に東京美術学校を卒業後、石本建築事務所に勤める。1938年に独立し、海老原建築事務所を設立する[2]

1950年代に尾崎記念館(現在の憲政記念館)、1960年代に日本最初の超高層ビル「ディックビル」(18階建)を設計。1971年日本芸術院賞受賞[3]、1976年から1980年まで日本建築家協会会長、1980年芸術院会員。母校である東京藝術大学建築科の講師も務めた。

作品

  • 日本バイリーン工場
  • 大日本インク工場
  • 憲政記念館(東京都千代田区永田町、1958年) - 建築設計コンペ当選作。2023年取壊し。
  • 新世界ビルディング(東京都台東区浅草、1959年) - 海老原建築設計事務所(海老原一郎・倉田康男・橋本朋之)として。地上7階(塔屋除く)・地下2階建の複合娯楽ビル[4]
  • ディック(DIC)ビル(東京都中央区日本橋、1967年) - 大日本インキ化学工業(現DIC)の本社ビル。18階建、74mで霞が関ビル(1968年)が建てられるまで日本一の高さだった。2013年取壊し。
  • 川村理化学研究所(佐倉市、1986年)
  • 川村記念美術館(佐倉市、1990年) - 大日本インキ化学工業の川村勝巳社長の依頼で設計。川村は府立三中の同級生だった。

脚注

  1. ^ 東文研アーカイブ「海老原一郎」[1]
  2. ^ JIAの建築家達
  3. ^ 『朝日新聞』1971年4月10日(東京本社発行)朝刊、23頁。
  4. ^ 「浅草 新世界ビルディング」『近代建築』1959年12月号(近代建築社)

外部リンク

  • 老有自[2] - 海老原事務所で川村記念美術館などを担当した根本誠の「建築ものがたり」。根本は日本バイリーン滋賀工場に感銘を受け、海老原事務所に入所、川村記念美術館などを担当した。根本によれば、事務所の取引先の7割はDIC関連だったという。

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