堤清二とは? わかりやすく解説

つつみ‐せいじ【堤清二】

読み方:つつみせいじ

[1927〜2013実業家小説家東京生まれ東大卒。康次郎次男昭和29年(1954)西武百貨店入社昭和41年(1966)社長に就任以後西友・パルコ・クレディセゾンなどを展開しセゾングループ形成また、辻井喬(つじいたかし)の筆名小説家としても活躍。「虹の岬」で谷崎潤一郎賞、「父の肖像」で野間文芸賞受賞平成24年2012文化功労者


堤清二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 04:44 UTC 版)

堤 清二(つつみ せいじ、1927年昭和2年〉3月30日 - 2013年平成25年〉11月25日)は、日本の実業家小説家詩人筆名辻井 喬(つじい たかし)。学位は博士(経済学)中央大学1996年)。日本芸術院会員、財団法人セゾン文化財団理事長、社団法人日本文藝家協会副理事長、社団法人日本ペンクラブ理事、『歴程』同人、憲法再生フォーラム共同代表、日本中国文化交流協会会長。西武鉄道取締役、京浜急行電鉄社外取締役、西武流通グループ(後のセゾングループ)代表などを歴任した。異母弟は西武鉄道グループ元オーナーの堤義明


注釈

  1. ^ 戸籍上は婚姻準正。「わが堤一族、血の秘密」(『文藝春秋』昭和六十二年八月号)は、青山操の姉の子であるとの証言を掲載している。
  2. ^ ただし完全に同党とは決別した氏家とは異なり、被除名者との関わりを断つ日本共産党の中ではかなり希有な存在として堤は晩年まで友好的な関係を維持していた。一例として、2010年第22回参議院議員通常選挙の前に同党公認候補だった小池晃参議院議員との対談を共産党機関紙の『しんぶん赤旗』紙上で行ったことが挙げられる。

出典

  1. ^ a b c 「堤清二のこのひとに会いたい(5) 女優 佐久間良子さん 『今は試練と思って何かをつかみたい』」『サンデー毎日』1984年7月15日号、毎日新聞社、44–45頁。 
  2. ^ 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
  3. ^ 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会メルマガ会報 2013年11月29日号)
  4. ^ 上之郷利昭『堤義明は語る』 講談社 1989年 ISBN 4-0618-4383-4 126頁
  5. ^ a b c 『叙情と闘争 -辻井喬+堤清二回顧録-』113-118、313-314頁
  6. ^ a b 『堤清二と昭和の大物』107-120、228-252頁
  7. ^ 辻井喬さん:人生最後の句は『過去を忘れたい』 毎日新聞 2016年05月09日閲覧
  8. ^ 文藝春秋2015年6月号 堤清二「最後の肉声」
  9. ^ セゾングループ創業者・堤清二氏が死去”. 日本テレビ放送網(2013年11月28日作成). 2019年5月5日閲覧。
  10. ^ マスコミ九条の会(よびかけ人はだれですか)
  11. ^ a b “程永華大使,故辻井喬日中文化交流協会前会長を偲ぶ会に出席”. 駐日中国大使館. (2014年4月10日). http://jp.china-embassy.org/jpn/dszl/dszyhd/t1145661.htm 2017年11月29日閲覧。 
  12. ^ 『最後の角川春樹』、伊藤彰彦、2021年11月発行、毎日新聞出版、P40
  13. ^ 堤清二さん死去 元セゾングループ代表 日刊スポーツ 2013年11月28日閲覧
  14. ^ “堤清二氏お別れの会に2500人 セゾングループ創業者”. 日本経済新聞. (2014年2月26日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD260IE_W4A220C1TJ2000/ 2017年11月29日閲覧。 
  15. ^ a b c d 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』327頁
  16. ^ 『漂流する経営: 堤清二とセゾングループ』立石泰則、1990年、p110
  17. ^ 「現代中国とマーラー」-『北海道新聞』1988年5月20日付夕刊・文化欄を収録。下記
  18. ^ 雑談(82)音楽よろず話(14)マーラー生誕150年と中国 2010年11月1日 早稲田大学 水島朝穂


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堤清二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「堤清二」の解説

実業家小説家筆名辻井喬」などで小説や詩を書き三島とも交友深かった三島組織した祖国防衛隊(のちの「楯の会」)の軍服のため、デザイナー五十嵐九十九紹介した三島自決直後開かれた追悼会では、ポケットマネーから資金提供したほか、三島映画の上企画などでも会場提供するなど、三島死後協力した。なお、86歳で堤が逝去した日は三島命日同日だった。

※この「堤清二」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「堤清二」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

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