つつみ‐せいじ【堤清二】
堤清二
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堤 清二(つつみ せいじ、1927年〈昭和2年〉3月30日 - 2013年〈平成25年〉11月25日)は、日本の実業家、小説家、詩人。筆名は辻井 喬(つじい たかし)。学位は博士(経済学)(中央大学・1996年)。日本芸術院会員、財団法人セゾン文化財団理事長、社団法人日本文藝家協会副理事長、社団法人日本ペンクラブ理事、『歴程』同人、憲法再生フォーラム共同代表、日本中国文化交流協会会長。西武鉄道取締役、京浜急行電鉄社外取締役、西武流通グループ(後のセゾングループ)代表などを歴任した。異母弟は西武鉄道グループ元オーナーの堤義明。
注釈
出典
- ^ a b c 「堤清二のこの
女 に会いたい(5) 女優 佐久間良子さん 『今は試練と思って何かをつかみたい』」『サンデー毎日』1984年7月15日号、毎日新聞社、44–45頁。 - ^ 『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)
- ^ 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会メルマガ会報 2013年11月29日号)
- ^ 上之郷利昭『堤義明は語る』 講談社 1989年 ISBN 4-0618-4383-4 126頁
- ^ a b c 『叙情と闘争 -辻井喬+堤清二回顧録-』113-118、313-314頁
- ^ a b 『堤清二と昭和の大物』107-120、228-252頁
- ^ 辻井喬さん:人生最後の句は『過去を忘れたい』 毎日新聞 2016年05月09日閲覧
- ^ 文藝春秋2015年6月号 堤清二「最後の肉声」
- ^ “セゾングループ創業者・堤清二氏が死去”. 日本テレビ放送網(2013年11月28日作成). 2019年5月5日閲覧。
- ^ マスコミ九条の会(よびかけ人はだれですか)
- ^ a b “程永華大使,故辻井喬日中文化交流協会前会長を偲ぶ会に出席”. 駐日中国大使館. (2014年4月10日) 2017年11月29日閲覧。
- ^ 『最後の角川春樹』、伊藤彰彦、2021年11月発行、毎日新聞出版、P40
- ^ 堤清二さん死去 元セゾングループ代表 日刊スポーツ 2013年11月28日閲覧
- ^ “堤清二氏お別れの会に2500人 セゾングループ創業者”. 日本経済新聞. (2014年2月26日) 2017年11月29日閲覧。
- ^ a b c d 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』327頁
- ^ 『漂流する経営: 堤清二とセゾングループ』立石泰則、1990年、p110
- ^ 「現代中国とマーラー」-『北海道新聞』1988年5月20日付夕刊・文化欄を収録。下記
- ^ 雑談(82)音楽よろず話(14)マーラー生誕150年と中国 2010年11月1日 早稲田大学 水島朝穂
堤清二
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)
実業家、小説家。筆名「辻井喬」などで小説や詩を書き、三島とも交友が深かった。三島が組織した祖国防衛隊(のちの「楯の会」)の軍服のため、デザイナー・五十嵐九十九を紹介した。三島の自決直後に開かれた追悼会では、ポケットマネーから資金を提供したほか、三島映画の上映企画などでも会場を提供するなど、三島の死後も協力した。なお、86歳で堤が逝去した日は三島の命日と同日だった。
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