杵屋六左衛門_(14代目)とは? わかりやすく解説

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杵屋六左衛門 (14代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/22 01:30 UTC 版)

じゅうよだいめ きねや ろくざえもん
十四代目杵屋六左衛門
1955年の六左衛門
本名 杵屋安彦
生年月日 (1900-10-06) 1900年10月6日
没年月日 (1981-08-23) 1981年8月23日(80歳没)
出生地 東京都中央区日本橋
死没地 東京都
国籍
職業 江戸長唄宗家家元
活動期間 1911年–1981年
活動内容 江戸長唄唄方
著名な家族 父 十三代目杵屋六左衛門(寒玉)
長男 十五代目杵屋喜三郎
次女 十五代目杵屋六左衛門
主な作品
大江山酒呑童子
『能阿』
『母を恋ふるの記』
『壇の浦』
他400曲あまり。 
受賞
1956年 - 文部大臣賞
1957年 - 毎日演劇賞音楽賞
1958年 - 毎日映画コンクール音楽賞
1961年 - 日本芸術院賞
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1953年の家族写真。
前列左から:14代目杵屋六左衛門、喜三郎の息子 宏幸、六左衛門夫人 田鶴
中列左から:15代目杵屋喜三郎、6代目杵屋勘五郎
後列左から:六左衛門の娘 千恵子、喜三郎夫人 伸枝、六左衛門の娘 定子

十四代目 杵屋 六左衛門(じゅうよだいめ きねや ろくざえもん 1900年明治33年)10月6日 - 1981年昭和56年)8月23日)は、江戸長唄の十四世宗家家元重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は杵屋 安彦(きねや やすひこ)。父の代までは三味線方の家系だったが、彼の代から唄方に転向した。

来歴

  • 1900年(明治33年)10月6日 - 東京都中央区日本橋十三代目杵屋六左衛門(寒玉)の長男として生まれる。
  • 1911年(明治44年) - 十四代目杵屋喜三郎を襲名。
  • 1916年(大正5年) - 十四代目杵屋六左衛門を襲名、杵屋十四世宗家家元になる。唄方に転向し、四代目吉住小三郎(慈恭)に師事。
  • 1927年(昭和2年) - 帝国劇場邦楽部長に就任( - 1931年)。
  • 1944年(昭和19年) - 旧制東京音楽学校教授に就任。
  • 1945年(昭和20年) - 長唄協会会長に就任(後に名誉会長)。
  • 1958年(昭和33年) - ブリュッセル万博に文化使節として参加。
  • 1974年(昭和49年) - 重要無形文化財保持者に各個認定される(いわゆる人間国宝)。
  • 1981年(昭和56年)8月23日 - 死去、満80歳。

新橋芸妓組合の長唄の師匠として、「東をどり」の新作舞踊の作曲も手掛ける。

受章等

作曲

他400曲あまりを作曲する。また映画『楢山節考』の音楽も手がけている。

家族

脚注

  1. ^ 「第十回毎日演劇賞決まる」『毎日新聞』1958年2月17日、朝刊、1面。
  2. ^ 毎日映画コンクール 第13回(1958年)”. 毎日新聞社. 2023年11月26日閲覧。



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