あずま‐おどり〔あづまをどり〕【▽東踊(り)】
東をどり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/14 19:54 UTC 版)
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春と秋の年二回開かれた時期もあった[1]が、現在は五月の年一回で、歳時記で晩春の季語とされる。
沿革
花街としての新橋は江戸においては幕末に許された新興であり、柳橋と異なり薩摩藩や長州藩の幕末志士が通ったことから、彼らが政権を握った明治時代に大きな発展を遂げた。芸の一流を街の目標に研鑽を積み、やがて「芸の新橋」と呼ばれるようになる。発表の場として1925年(大正14年)に新橋演舞場を建設、その杮落し公演が初回の東をどりである(4月1日[2])。演舞場が東京大空襲で焼失後、1948年(昭和23年)に再建され、第15回公演として東をどりも復活した。川端康成や谷崎潤一郎、吉川英治など文豪の脚本による舞踊劇が話題を呼んだ。男姿の美しい芸者、まり千代の人気により主婦や女学生など幅広いファンを獲得、意欲的な舞台づくりは高い評価を受けた。1982年(昭和57年)から毎年5月に4日間で開催されている。
特徴
「日本を遊ぶ」を相言葉に、幕間には芸者衆の点茶、食は新喜楽、金田中、東京吉兆、米村など新橋料亭の松花堂弁当や酒肴、特別な酒が楽しめる。
脚注
参考文献
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- 岡副昭吾『新橋と演舞場の七十年』1996年、ASIN B00DACKB54
- 岩下尚史『花柳界の記憶 芸者論』文春文庫 2009年、ISBN 4167753928
- 中村喜春『江戸っ子芸者一代記』草思社文庫 1983年、ISBN 479420177X
- CCCメディアハウス『Pen (ペン) 日本文化の「粋」が息づく花街の秘密』2012年、ASIN B007SWLOK8
関連項目
外部リンク
東をどりと同じ種類の言葉
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