舞台の振付と指導
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:14 UTC 版)
長谷川一夫の東宝歌舞伎の「春夏秋冬」、山本富士子特別公演、宝塚歌劇団の振付、指導をしていた(山本富士子は尾上流の名取である。鯉三郎没後、振付は2世花柳寿楽や花柳壽輔が担当)。 女優でも新派の初代水谷八重子、山田五十鈴、京マチ子、淡島千景、山本富士子らにも、日本舞踊の指導をした。 地唄舞の武原はんも鯉三郎を大崇拝していた。彼女が踊る、清元「山姥」や清元「雁金」などは鯉三郎の振付で歌舞伎座や国立劇場で開催された、「武原はん・舞の会」などで踊っている。 花柳界の指導にも積極的であった。東京の三大花街と言われた、新橋の東をどり、赤坂の赤坂をどり、柳橋のみどり会(柳橋芸妓組合は廃業)の構成、演出、振付を担当。 新橋の東をどりでは、新橋の東をどりの三大スターと言われた(昭和20年代後半から昭和50年代前半まで)まり千代、小くに、染福は鯉三郎に師事した。 まり千代と小くには藤間流(勘右衛門)の名取であった(新橋の検番は、尾上流と西川流が入る前は藤間流と花柳流だった。尾上流と西川流が入ってからは、藤間流が抜き、花柳流、尾上流、西川流の三流派で現在も指導している)。 名古屋名妓をどり(現在は開催されていない。)、大阪北新地(大阪をどり)、金沢の芸者衆の指導にあたる。 日本舞踊協会公演や中京五流舞踊公演にも出演。
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