舞台の初演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/02 22:44 UTC 版)
「アラジン (ニールセン)」の記事における「舞台の初演」の解説
舞台の初演にあたってニールセンは苦い思いをする事となった。まず、演出家のポールセンがステージを拡張するためにオーケストラピットを埋めてしまったため、オーケストラは舞台セットの大きな階段の下に押し込まれる形となってしまい、曲の音量や音響は台無しにされてしまった。加えて、ポールセンは作者に無断で曲を大幅にカットしたり並べ替えたりし、またオーケストラ編成も縮小してしまった。音楽の粗雑な扱いに憤ったニールセンは、芸術的な面での責任を負う事が出来ないとして、公演のポスターやプログラムから自分の名前を消すことを要求した。 劇自体の新聞評は概ね好評であったが、元々のエーレンシュレーアーの戯曲から内容が逸脱している事に懸念を示す批評もあった。23-24万クローネという当時としては破格の予算が投じられ、豪華絢爛な舞台セットが組まれたのにも関わらず、結果的には1919年の2月から3月に行われた劇場での初演はそれほど成功せず、第1夜と第2夜それぞれ15回程度の上演で打ち切られてしまった。 その後、1929年11月から12月にかけて、この劇はハンブルクでのドイチュ・シャウシュピールハウス(英語版)にて12回再演されている。なお、この時もニールセンの音楽は大幅にカットされていたことが当時の批評から判明している。
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