はせがわ‐かずお〔はせがはかずを〕【長谷川一夫】
長谷川一夫
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長谷川 一夫(はせがわ かずお、1908年(明治41年)2月27日 - 1984年(昭和59年)4月6日)は、日本の俳優。旧芸名に林 長丸(はやし ちょうまる)、林 長二郎(はやし ちょうじろう)。愛称は長さん。身長162cm[3]。
注釈
- ^ かつて千本組の侠客だった。
出典
- ^ KINENOTE「長谷川一夫」の項
- ^ a b “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月19日閲覧。
- ^ 1955年増刊「日本映画大鑑・映画人篇」
- ^ a b c d 『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)
- ^ 長谷川[1984], p.358-386.
- ^ キネ旬[1979], p.449.
- ^ 『演劇界』第23巻、第7〜12号
- ^ a b 『舞台・銀幕六十年』(日本経済新聞社)
- ^ ここまで、『あゝ活動大写真 グラフ日本映画史 戦前篇』(朝日新聞社)より
- ^ 『夢は大空を駆けめぐる 恩師・円谷英二伝』(うしおそうじ、角川書店)
- ^ 今井東宝京都撮影所長、真相を明かす『東京日日新聞』(昭和12年11月11日夕刊)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p615 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 京都で襲われ、顔面を切られる『中外商業新聞』(昭和12年11月13日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p615
- ^ 芸名を返上、本名の長谷川一夫に『東京日日新聞』(昭和13年3月6日夕刊)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p615
- ^ a b 『あゝ活動大写真 グラフ日本映画史 戦前篇』(朝日新聞社)
- ^ 後援会長は三ツ澤正治(マルベル堂社長)。限定2000部で、作品年譜ほか多くの後援者・知人が寄稿。
- ^ a b c ここまで『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)より
- ^ 『夢は大空を駆けめぐる 恩師・円谷英二伝』(うしおそうじ、角川書店)。
- ^ a b c ここまで、『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』、長谷川一夫インタビュー「歩き続ける華麗な“花道”」より(サンケイ出版)
- ^ 『キネマ旬報日本映画作品大鑑』(円谷英二、昭和35年11月)
- ^ 『ひげとちょんまげ』(稲垣浩、毎日新聞社)
- ^ 『円谷英二 日本映画界に残した遺産』「デビューの仲間円谷英二」(長谷川一夫、小学館)
- ^ ここまで、『映画渡世・天の巻 マキノ雅弘自伝』(マキノ雅弘、平凡社)より
- ^ ここまで、『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)より
- ^ 番組エピソード 大河ドラマ『赤穂浪士』 - NHKアーカイブス
- ^ “本当にあった俳優「顔切り事件」がモチーフ 『シャブ極道』監督最新作に称賛の嵐”. シネマトゥデイ. (2016年9月4日) 2016年9月5日閲覧。
- 1 長谷川一夫とは
- 2 長谷川一夫の概要
- 3 受賞・受章歴
- 4 関連作品
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