マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス
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マリー・テレーズ・シャルロット(仏: Marie Thérèse Charlotte, 1778年12月19日 - 1851年10月19日)は、フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの長女。ルイ16世の弟シャルル10世の長男であるルイ・アントワーヌ王太子の妃となった。ルイ16世とマリー・アントワネットの子女の中で唯一天寿を全うした。
注釈
- ^ エルネスティーヌの法的文書には母・フィリピーヌ・ド・ランブリケの名前は記されていたが、フィリピーヌの夫ジャックの名前は載っておらず、当時ルイ16世の嫡外子ではないかと言われた[1]
- ^ その後、エルネスティーヌはナポレオン時代をパリで暮らし、1810年12月7日に妻に先立たれたジャン・シャルル・ブランパンと結婚、1813年12月30日にパリ郊外で死亡した[2]
- ^ クレメンス・フォン・ザクセンはザクセン選帝侯のち国王、フリードリヒ・アウグスト3世の叔父にあたる。
- ^ ワルシャワは第3次ポーランド分割によりプロイセン領となっていた。
出典
- 1 マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランスとは
- 2 マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランスの概要
- 3 生涯
- 4 備考
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