マリー・テレーズ・ド・サルデーニュとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 后妃 > フランス王族の妃 > マリー・テレーズ・ド・サルデーニュの意味・解説 

マリー・テレーズ・ド・サルデーニュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 03:00 UTC 版)

マリー・テレーズ
Marie Thérèse

称号 アルトワ伯爵夫人
出生 (1756-01-31) 1756年1月31日
サルデーニャ王国トリノ
死去 (1805-06-02) 1805年6月2日(49歳没)
オーストリア帝国グラーツ
埋葬 オーストリア帝国グラーツ大聖堂
配偶者 シャルル10世
子女 一覧参照
家名 サヴォイア=ブレッセ家
父親 ヴィットーリオ・アメデーオ3世
母親 マリーア・アントニア
テンプレートを表示

マリー・テレーズ・ド・サルデーニュMarie Thérèse de Sardaigne)またはマリー・テレーズ・ド・サヴォワMarie Thérèse de Savoie, 1756年1月31日 - 1805年6月2日)は、アルトワ伯シャルル・フィリップ、のちのフランスシャルル10世の妃。夫の即位前に他界したため、王妃にはならなかった。

イタリア語マリーア・テレーザ・ディ・サヴォイアMaria Teresa di Savoia)。

生涯

サルデーニャヴィットーリオ・アメデーオ3世と王妃マリーア・アントニエッタスペインカルロス3世エリザベッタ・ファルネーゼの娘)の三女として、トリノで生まれた。シャルル10世らの祖父ルイ15世の母であるマリー・アデライード・ド・サヴォワはマリー・テレーズの大伯母にあたる。

マリー・ジョゼフィーヌ(マリーア・ジュゼッピーナ)は1771年にルイ16世の弟プロヴァンス伯ルイ・スタニスラス(のちのルイ18世)と結婚していたが、マリー・テレーズも1773年11月にプロヴァンス伯の弟アルトワ伯と結婚した。1775年には兄カルロ・エマヌエーレ4世が夫の妹クロティルドと結婚している。

マリー・テレーズではなく、コンデ公ルイ5世ジョゼフの娘ルイーズ・アデライード (enとの結婚を望んだという夫との結婚生活は不幸だった。彼女は、義理の姉マリー・アントワネットとの付き合いを避けたにもかかわらず、当時のフランス宮廷で民衆から最も嫌われた王族の一人だった。

1789年、フランス革命勃発後にフランスを家族で脱出した。1805年、亡命先のグラーツで死去し、アルトワ伯爵夫人として、グラーツ大聖堂に葬られた。

子女

脚注





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マリー・テレーズ・ド・サルデーニュ」の関連用語

マリー・テレーズ・ド・サルデーニュのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マリー・テレーズ・ド・サルデーニュのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマリー・テレーズ・ド・サルデーニュ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS