マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/23 10:00 UTC 版)
| マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン Marie Louise Elisabeth d'Orléans |
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| 称号 | ベリー公妃 |
| 出生 | 1695年8月20日 |
| 死去 | 1719年7月20日(23歳没) |
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| 配偶者 | ベリー公シャルル |
| 家名 | オルレアン家 |
| 父親 | オルレアン公フィリップ2世 |
| 母親 | フランソワーズ・マリー・ド・ブルボン |
マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン(Marie Louise Elisabeth d'Orléans, duchesse de Berry, 1695年8月20日 - 1719年7月20日)は、フランス王族であるベリー公シャルルの妃。
生涯
後年、幼君ルイ15世摂政に就くオルレアン公フィリップ2世と妃フランソワーズ・マリー・ド・ブルボンの長女として、ヴェルサイユで生まれた。
1710年7月、従兄であるベリー公シャルルと結婚した。しかし、最初の妊娠が流産となって二度と子供が産めなくなり、夫と不仲になってしまった。1714年、夫ベリー公は死去した。
マリー・ルイーズは父から与えられたラ・ミュエット宮殿(ラ・ミュエット城ないし宮殿、Château de la Muette, 現在のパリ16区)を居宅にし、また幾度も饗宴を開き、招待客のなかには初代ロシア皇帝ピョートル1世もいた。こうした経緯のなか、同城は未亡人らの"秘密の産院"にも提供されていた。しかし時を経ずして1719年、同ラ・ミュエットで亡くなった。
ギャラリー
固有名詞の分類
| フランス王族の妃 |
マリー・ド・ブルボン=モンパンシエ マリー・テレーズ・ド・サルデーニュ マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン フランソワーズ・ド・ブラガンス ベアトリス・ド・プロヴァンス |
| オルレアン家 |
ルイーズ・アデライード・ドルレアン ルイーズ・ディアーヌ・ドルレアン マリー・ルイーズ・ドルレアン マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン ルイーズ=マリー・ドルレアン |
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