マリー・ルイーズ・ダスプルモンとは? わかりやすく解説

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マリー・ルイーズ・ダスプルモン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 14:43 UTC 版)

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マリー・ルイーズ・ダスプルモンMarie Louise d'Aspremont, 1651/1652年[1] - 1693年10月23日)は、フランスの貴族女性。マリー・ルイーズ・ダプルモンMarie-Louise d'Apremont)とも表記される[2]

シャルル・ダスプルモン伯爵(1620年 - ?)とその妻マリー・フランソワーズ・ド・マイイ(? - 1702年)の間の娘。父方はロレーヌ地方の古参の貴族アスプルモン家フランス語版のソルシー(Sorcy)及びロンビーズ(Rombise)、ナントゥイユ男爵領(baron de Nanteuil)を伝領していた分家。母方の祖母イザベル=クレール=ウジェニー・ド・クロイ=ソルルは、クロイ公エマニュエル英語版の玄祖父の妹にあたる[3]

1665年7月17日、ロレーヌ公シャルル4世と結婚。花嫁が14歳頃だったのに対し、夫の公爵は61歳の高齢だった。さらに公爵は、イザベル・ド・リュドル英語版と一旦は婚約しながらこれを破棄し、マリー・ルイーズを3番目の妻に迎えたのだった。シャルル4世とは子をもうけないまま1675年に死別した。

1679年、マンスフェルト侯ハインリヒ・フランツ・フォン・マンスフェルトと再婚、間に2人の娘をもうけた[4]

  • マリア・アンナ(1680年 - 1724年) - 1699年ザルム=ホーホストラーテン伯ヴィルヘルム・フロレンティンと結婚
  • マリア・エレオノーラ(1682年 - 1747年) - 1703年従兄カール・フランツ・フォン・マンスフェルトと結婚、夫がマンスフェルト侯位を相続
    • ハインリヒ・フランツ2世(1712年 - 1780年) - マンスフェルト侯
      • ヨーゼフ・ヴェンツェル(1735年 - 1780年) - マンスフェルト侯
      • マリア・イザベラ(1750年 - 1794年) - 1771年コロレード=ヴァルトゼー侯フランツ・デ・パウラ・グンダカル1世ドイツ語版と結婚 →コロレード=マンスフェルト家

引用・脚注

  1. ^ http://genealogy.euweb.cz/lorraine/lorraine5.html#C4
  2. ^ 表記の揺れは、アプルモン=ラ=フォレ英語版に由来する家名が、アスプルモンとも表記されてきたために起きている。
  3. ^ http://genealogy.euweb.cz/croy/croy8.html#PS
  4. ^ https://www.genealogieonline.nl/genealogie-richard-remme/I3895.php



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