ヴェルサイユ【Versailles】
読み方:ヴぇるさいゆ
ヴェルサイユ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 05:59 UTC 版)
ヴェルサイユ(フランス語: Versailles)は、フランス北部のイル=ド=フランス地域圏に位置するコミューンで、イヴリーヌ県の県庁所在地である。
バイイ (イヴリーヌ県) | ロカンクール ル・シェネ | ヴォークレソン マルヌ=ラ=コケット | ||
サン=シール=レコール | ヴィル=ダヴレー ヴィロフレー ヴェリジー=ヴィラクブレー | |||
ヴェルサイユ | ||||
ギュイヤンクール | ビュク | ジュイ=アン=ジョザ |
- ^ 現在のヴェルサイユの私立リセ・ノートル=ダム=デュ=グランシャン (fr) が後継にあたる(Notre-Dame du Grandchamp, une histoire d'éducation)。
- ^ アポロ仏和辞典(角川書店 ISBN 4-04-012700-5)による発音のカタカナ表記より
- 1 ヴェルサイユとは
- 2 ヴェルサイユの概要
- 3 歴史
- 4 関係者
- 5 関連項目
ヴェルサイユ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 18:49 UTC 版)
「ポリニャック公爵夫人ヨランド・ド・ポラストロン」の記事における「ヴェルサイユ」の解説
宮廷女官となった義妹のディアーヌ・ド・ポリニャックの招待を受け、ガブリエルと夫は1775年のある日、ヴェルサイユ宮殿鏡の間で行われた公的なレセプションに出席した。そこで彼女を初めて紹介された王妃マリー・アントワネットは、ガブリエルのあまりの美しさに衝撃を受けて目が「眩み」、ヴェルサイユに永住するよう彼女に懇願した。ヴェルサイユ宮廷で暮らすことは非常に高額な出費を伴ったため、ガブリエルは自分の夫には宮廷に部屋を維持するだけの収入がないと正直に答えた。新しいお気に入りを自分のそば近くに置いておきたい王妃は、すぐさまポリニャック一族の抱える借金を清算してやり、ガブリエルの夫に実入りのよい官職(王妃主馬頭の襲職権保有者)を与えた。 ガブリエルは王妃のアパルトマンの近くの快適な部屋を与えられた。彼女はさらに王妃と仲の良い王弟アルトワ伯爵と友人になったし、他ならぬ国王ルイ16世が、有力門閥間の権力闘争とは無縁の新しい妻の友人の出現に安心し、王妃がガブリエルと友情を育むことに賛成してくれた。しかしガブリエルの登場は、国王夫妻の他の側近たちからは反感を持たれた。特に王妃の聴罪司祭ヴェルモン(フランス語版)神父、及び王妃と実家との連絡役を務める駐仏オーストリア大使メルシー伯爵は強い敵意を抱き、メルシーは王妃の母親マリア・テレジア皇后に宛てた手紙に、「こんな短い期間にこんな巨額の金がただ一つの家族にあたえられたためしはありません」と書き送った。 カリスマと圧倒的な美貌をそなえたガブリエルは、瞬く間に王妃のごく内輪の取り巻きサークル「プチ・キャビネ(petit cabinets)」の最有力者となり、彼女の同意がなければ「プチ・キャビネ」の仲間入りをすることはほぼ不可能となった。ガブリエルは多くの友人たちから、洗練されており、立ち居振る舞いが優雅で、愛嬌があって、楽しませてくれる人、という評判を得ていた。 王妃の恐ろしいほどの気前のよさのおかげで、ポリニャック家の一族は例外なく美味しい思いをした。しかしこの依怙贔屓をかさに着た一族の富貴と贅沢、そして宮廷を牛耳るかのような傲慢さは、多くの貴族家門の怨嗟の的となる。さらにポリニャック家に対する王妃の寵愛は、一部の平民(特にパリ市民)や自由主義を信奉する貴族たちが王妃を憎悪し、誹謗中傷を始める原因の一つとなった。 1780年はガブリエルとポリニャック家に恩恵が降り注ぐ年となった。腹違いの弟妹に有利な条件の結婚をさせたうえ、7月11日に12歳の長女アグラエを国内でも指折りの大貴族の1人グラモン公爵の後継者ギーシュ公爵に嫁がせた。この幼い花嫁のために国王が下賜した婚資が80万リーヴルの巨額であったこと、そして花婿に国王が下賜した地所に70万ドゥカート相当の価値があったことで、宮廷に衝撃が走った。さらに5月14日に次男ジュールを無事出産したことに対する王室からの祝いとして、9月20日に夫がポリニャック公爵に昇叙された。ガブリエルが「公爵夫人」と呼ばれるようになったことは、宮廷人たちのさらなる苛立ちを招いた。 1780年代後半までに、王妃とガブリエルがレズビアンの恋人関係にあり、トリバディズムなどの性交渉をしているという内容を含んだ、何千ものポルノ色の強い中傷パンフレットが出回った。2人が同性愛関係にあるという非難には何の証拠もなかったが、性的な中傷の数々は絶対王政の権威に測り知れないほどの深刻なダメージを与え、特にブルジョワ階層と都市部の労働者階級に2人の同性愛が事実だと思い込ませた。 一部の歴史家は、例えばガブリエルが14年の宮廷生活の間に蕩尽した金額は、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人のそれとほぼ同額である、といった彼女の濫費に関する記録は、大げさに誇張されたものだとしている。他の大半の歴史家は、性的に乱脈だったとする中傷は事実ではなかったものの、その他の点で悪評を買ったことについては、彼女に非があると主張している。彼女は冷淡で、自己中心的で、自分に甘く、優しげな声色と欠点のない振る舞いの裏側に、噂や陰謀を好む性格を隠していた、というのである。こうした論調のポリニャック評の中で最も影響力があったのは、シュテファン・ツヴァイクの(王妃に関する)伝記である。 マントノンやポンパドゥールでさえ、天使のような伏し目のお気に入り、つつましやかでおとなしいポリニャックほど金を使わせはしなかったのである。[ポリニャック家への寵愛という]この渦に巻き込まれなかった人々は、呆然とたちつくすのみ…[王妃の]手をまた見えないところであやつっているのが、すみれ色の目をした女、美しい、もの静かなポリニャック夫人なのだった。
※この「ヴェルサイユ」の解説は、「ポリニャック公爵夫人ヨランド・ド・ポラストロン」の解説の一部です。
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「ヴェルサイユ」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
フランスの都市 | エクス=アン=プロヴァンス ライ=レ=ローズ ヴェルサイユ サン=モール=デ=フォッセ ロン=ル=ソーニエ |
県庁所在地 (フランス) | ロデーズ エクス=アン=プロヴァンス ヴェルサイユ ロン=ル=ソーニエ トゥーロン |
古都 | ヴァーサ サンクトペテルブルク ヴェルサイユ ダルエスサラーム ドゥル・シャルキン |
フランスの観光地 | グラース エクス=アン=プロヴァンス ヴェルサイユ ナッツヴァイラー強制収容所 カルカソンヌ |
イヴリーヌ県のコミューン | エランクール コンフラン=サントノリーヌ ヴェルサイユ マント=ラ=ジョリー ル・シェネ |
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