バニョレとは? わかりやすく解説

バニョレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/27 16:07 UTC 版)

Bagnolet


行政
フランス
地域圏 (Région) イル=ド=フランス地域圏
(département) セーヌ=サン=ドニ県
(arrondissement) ボビニー郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 93006
郵便番号 93170
市長任期 マルク・エヴェルベック
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) メトロポール・デュ・グラン・パリ
人口動態
人口 34,069人
2006年
人口密度 13,256人/km2
住民の呼称 Bagnoletais
地理
座標 北緯48度52分09秒 東経2度25分05秒 / 北緯48.8692度 東経2.4181度 / 48.8692; 2.4181座標: 北緯48度52分09秒 東経2度25分05秒 / 北緯48.8692度 東経2.4181度 / 48.8692; 2.4181
標高 平均:?m
最低:57m
最高:119m
面積 2.57km2
Bagnolet
公式サイト http://www.ville-bagnolet.fr
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バニョレBagnolet)は、フランスイル=ド=フランス地域圏セーヌ=サン=ドニ県コミューン

地理

パリ東部郊外(バンリュー)の都市で、パリ20区レ・リラロマンヴィルモントルイユと接する。

歴史

バニョレ城は19世紀に壊されたが、1720年頃建てられたパヴィヨン・ド・レルミタージュが唯一現存している。但し、所在地は現在のパリ20区内になる。

バニョレとは、バルネオルム(balneolum)に由来する。水や池、沼地を連想させる。

裁判官や徴税請負局員(fr[1])によって建てられたバニョレ城(fr)は、現在のバニョレからパリ20区シャロンヌ地区一帯に広がるお城だった。幼君ルイ15世摂政オルレアン公フィリップ2世ヴェルサイユからパリに宮殿を移すに伴い、1719年にこのお城を所有、その妃フランソワーズ・マリー・ド・ブルボンに与えた。

お城は彼女の好みに合わせた改築が成されてから"エルミタージュ"も設けられ、彼女も居住した。彼女の死後、子のオルレアン公ルイは父と同様にこのお城ではなくサント=ジュヌヴィエーヴ修道院(現在のパリ5区、リセ・アンリ4世校界隈)に居住した。1769年、彼女の孫オルレアン公ルイ・フィリッブ1世の代になると、オルレアン家はこの城の所有を手放し、その後19世紀に入り、"エルミタージュ"を残し、お城は取り壊された。"エルミタージュ"はパリ20区内148 Rue de Bagnolet界隈に現存している[2]

交通

姉妹都市

出身者

脚注

  1. ^ 徴税請負人の上層クラスになると、当時は新興貴族という身分だった。「フェルミエー・ジェネローの城壁」も参照。
  2. ^ Pavillon de l'Ermitage




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