ヌイイ=シュル=マルヌとは? わかりやすく解説

ヌイイ=シュル=マルヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/25 07:25 UTC 版)

Neuilly-sur-Marne


行政
フランス
地域圏 (Région) イル=ド=フランス地域圏
(département) セーヌ=サン=ドニ県
(arrondissement) ル・ランシー郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 93050
郵便番号 93330
市長任期 ジャック・マエアス
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) メトロポール・デュ・グラン・パリ
人口動態
人口 33 352人
2006年
人口密度 10 694人/km2
地理
座標 北緯48度51分00秒 東経2度32分00秒 / 北緯48.8500度 東経2.5333度 / 48.8500; 2.5333座標: 北緯48度51分00秒 東経2度32分00秒 / 北緯48.8500度 東経2.5333度 / 48.8500; 2.5333
標高 平均:?m
最低:36m
最高:80m
面積 6.86km2
Neuilly-sur-Marne
公式サイト http://www.mairiedeneuillysurmarne.com
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ヌイイ=シュル=マルヌNeuilly-sur-Marne [nœji syʁ maʁn] ( 音声ファイル))は、フランスイル=ド=フランス地域圏セーヌ=サン=ドニ県コミューン

地理

パリの東約13.1km、マルヌ川の右岸に位置する。コミューン内を縦に国道N34が通っている。

歴史

旧石器時代の道具や燧石が発掘されている。ガロ=ローマ時代には貴族の領土で名をNobiliacumといった。ガリア人はマルヌ川に面した突端の上に砦を築いていた。この砦は完全な状態で保存されている。ヌイイ=シュル=マルヌの名が初めて歴史上に現れるのは、998年にロベール2世が授けた憲章においてである。neuillyとはラテン語から生じた言葉で、『新しく切り開かれた土地』を意味する。当時、ボンディの森が近辺に広がっていたのである。

18世紀、コミューンの郊外は市場用の作物が育てられていた。周囲にはヴィル=エヴラール城、アヴロン城、ブランシュ・ア・ガニー邸があり、コミューンの領域である草原が囲んでいた。アヴロン地区の丘陵には、ワイン用のブドウが栽培されていた。1789年、教会のポーチの前で住民集会が開かれ、初代市長ジャン=ピエール・エルセンが選ばれた。1792年当時の人口は620人であった。ヴィル=エヴラール城は国家に接収された。

1863年、セーヌ県は精神病院をつくるためにヌイイ=シュル=マルヌに土地を購入した。1868年にできたこの病院には、カミーユ・クローデルアントナン・アルトーが収容されていた。1869年、ヴェル=シュル=マルヌとの間8kmをつなぐシェユ運河が開通した。それまでマルヌ川をいくフェリーに頼っていたが、1889年にマルヌ川に橋が架かった。1892年、ヌイイ=シュル=マルヌより分離して新たなコミューン、ヌイイ=プレザンスが誕生した。1898年、メゾン=ブランシュ療養所が完成した。この療養所は第一次世界大戦中に軍病院となった。

交通

関係者

著名出身者
ゆかりある人物




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