シャルル・ド・ブルボン_(ベリー公)とは? わかりやすく解説

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シャルル・ド・ブルボン (ベリー公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/18 05:36 UTC 版)

シャルル・ド・ブルボン
Charles de France
ベリー公
在位 1686年 - 1714年

出生 (1686-07-31) 1686年7月31日
フランス王国ヴェルサイユ宮殿
死去 (1714-05-05) 1714年5月5日(27歳没)
フランス王国マルリー=ル=ロワ
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
配偶者 マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン
家名 ブルボン家
父親 フランス王太子ルイ
母親 マリー・アンヌ・ド・バヴィエール
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シャルル・ド・フランス(Charles de France, 1686年7月31日 - 1714年5月5日)は、ブルボン朝フランス王族、ベリー公

ルイ14世の1人息子で王太子ルイ(グラン・ドーファン)と、妃でバイエルン選帝侯フェルディナント・マリアの娘マリー・アンヌの3男として生まれた。長兄はブルゴーニュ公ルイ(プティ・ドーファン、ルイ15世の父)、次兄はアンジュー公フィリップスペイン王フェリペ5世)。1714年にアランソン公、アングレーム公となった。

生涯

スペイン継承戦争で兄と共にトゥーロン包囲戦1707年)とアウデナールデの戦い1708年)に参戦、1710年7月、マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン(父の従弟にあたるオルレアン公フィリップ2世と庶系の叔母フランソワーズ・マリーの長女)と結婚した。しかしマリー・ルイーズは最初の妊娠で流産し、2度と子供の産めない体になったため、シャルルは妻と不仲になってしまった。

1712年、長兄ルイの死に伴いシャルルは将来の王である甥ルイ(後のルイ15世)の摂政役の最右翼となった。実際、ベリー公の死後、祖父ルイ14世は摂政をオルレアン公フィリップ2世にするか、自らの庶子であるメーヌ公ルイ・オーギュストにするか決めかねたという。

1714年5月、狩猟中の不慮の事故で重傷を負い、急死した。




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