ルイ・アントワーヌ (アングレーム公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ルイ・アントワーヌ (アングレーム公)の意味・解説 

ルイ・アントワーヌ (アングレーム公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 02:21 UTC 版)

ルイ・アントワーヌ
Louis Antoine
フランスのドーファン
アングレーム公ルイ・アントワーヌ
在位 1824年9月16日 - 1830年8月2日

全名 Louis Antoine
ルイ・アントワーヌ
称号 アングレーム公
出生 (1775-08-06) 1775年8月6日
フランス王国ヴェルサイユヴェルサイユ宮殿
死去 (1844-06-03) 1844年6月3日(68歳没)
オーストリア帝国
イリュリア王国ゲルツ
埋葬 1844年6月8日
オーストリア帝国
イリュリア王国ゲルツ聖マリア受胎告知教会
配偶者 マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス
家名 ブルボン家
父親 シャルル10世
母親 マリー・テレーズ・ド・サルデーニュ
テンプレートを表示

ルイ・アントワーヌ・ド・フランスフランス語: Louis Antoine de France1775年8月6日 - 1844年6月3日)は、フランス王国 王太子 ドーファン。弟にベリー公シャルル・フェルディナン・ダルトワがいる。

生涯

1775年、アルトワ伯シャルル(後のフランス王シャルル10世)と妃マリー・テレーズ・ド・サルデーニュサルデーニャヴィットーリオ・アメデーオ3世の娘)の長男としてヴェルサイユに生まれる。伯父ルイ16世によってアングレーム公の称号を授けられる。フランス革命後は家族と共に亡命生活を送る。

ロンドンに亡命中の1799年、ロシアクールラントに亡命宮廷を開いていた伯父ルイ18世の勧めにより、ルイ16世とマリー・アントワネットの長女で従妹のマリー・テレーズと結婚。結婚後はコンデ公らと対ナポレオン戦争に加わった。

1815年の百日天下が終わって第二次復古王政が始まると、白色テロを行う超王党派の1人として国内で弾圧を行った。スペインリエゴ大佐の反乱に始まる革命が起こると、1823年にフランス軍を派遣して王党派を支援し、フェルナンド7世の復位に寄与した。しかし、ルイ・アントワーヌはイギリスでの長い亡命生活から議会政治への憧れがあり、絶対王制を強く支持する妻とは口論になる事も多かった。

1824年に父アルトワ伯が国王シャルル10世として即位すると王太子に立てられ、妻と共に国内視察や慈善活動を行ったが国内の評価は低かった。7月革命によって再び亡命生活を送る。なお、父シャルル10世の退位後、短時間だが形式的に王位を継承したともされ、ルイ19世と呼ばれることがある。しかし、ルイ・アントワーヌは国民に不人気だったため、父王から弟の遺児シャンボール伯アンリ・ダルトワへの譲位にただちに同意せざるを得なかった。結局、両者とも実際には即位できず、オルレアン公ルイ・フィリップが議会によって国王に擁立され、7月王政が成立した。

フランス追放後には、姓はド・ブルボンからド・フランスに改め、ルイ19世およびアングレーム公爵以外では、ルイ・アントワーヌ・ド・フランスを名乗った。

1844年、ゴリツィア(当時オーストリア帝国領、現在イタリア領)でに侵され闘病中に失明、死去した。夫婦仲は良かったが、子女には恵まれなかった。

参考文献

  • 『マリー・テレーズ』スーザン・ネーゲル著 櫻井郁恵訳(近代文芸社、2009年)
先代
シャルル10世
フランス王
ブルボン家正統派
(1830年)
(1836年 - 1844年)
次代
アンリ5世
先代
ルイ17世
フランスのドーファン
1824年 - 1830年
次代



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルイ・アントワーヌ (アングレーム公)」の関連用語

ルイ・アントワーヌ (アングレーム公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルイ・アントワーヌ (アングレーム公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのルイ・アントワーヌ (アングレーム公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS