カール3世_(フランク王)とは? わかりやすく解説

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カール3世 (フランク王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 09:33 UTC 版)

カール3世839年6月13日 - 888年1月13日)はフランク国王で異称は「肥満王」(ドイツ語Karl III. der Dicke)[1](在位:876年 - 887年)。神聖ローマ皇帝(戴冠:881年2月12日)。その治世は兄弟と共同統治の東フランク国王として始まり、879年に臨終の兄からイタリア王位を譲り受け、881年に神聖ローマ皇帝となり、882年にはもうひとりの兄の死で単独の東フランク王となり、884年には西フランク王位をも相続して分裂していたフランク王国カロリング帝国を一時的に統一した。しかし意欲も才覚もない皇帝は相続による統合を維持できず、弱腰の外交は帝国の分裂を決定的にした。西フランク王としてはシャルル肥満王フランス語Charles le Gros)と呼ばれ世数は付さない。


  1. ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』カルル3世(肥満王)
  2. ^ 成瀬 他、pp. 52 - 53
  3. ^ a b c 瀬原、p. 55
  4. ^ 柴田 他、p. 171
  5. ^ a b 瀬原、p. 56
  6. ^ 堀越 他、p. 83
  7. ^ カラー世界史百科、p. 127
  8. ^ Reuter, p. 73
  9. ^ Reuter, p. 336


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