ジャン1世_(フランス王)とは? わかりやすく解説

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ジャン1世 (フランス王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 16:23 UTC 版)

ジャン1世
Jean I
フランス国王
ナバラ国王
在位 1316年11月15日 - 11月19日

出生 1316年11月15日
フランス王国パリ
死去 1316年11月19日
フランス王国パリ
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
家名 カペー家
王朝 カペー朝
父親 ルイ10世
母親 クレマンス・ド・オングリー
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ジャン1世フランス語: Jean Ier1316年11月15日 - 1316年11月19日)は、フランスカペー朝の第13代国王(在位:1316年11月15日 - 11月19日)。ナバラを兼ねた(フアン1世)。第12代国王ルイ10世と2度目の王妃クレマンス・ド・オングリーの子。父の死後に生まれたため、Le Posthume(ル・ポスチュム、遺児王)と呼ばれる。

生涯

1316年6月5日に父王ルイ10世が崩御した時、ルイ10世には王女ジャンヌしかいなかった。しかし、2度目の王妃クレマンスが懐妊中であり、ルイ10世の弟フィリップが摂政となり出産を待つこととなった[1]。11月15日、男子ジャンが生まれ、ジャンは出生と同時に後を継いで国王に即位したが、生後1週間もたたずに崩御した[2]。このため、王弟フィリップがフィリップ5世として王位を継ぐこととなった。

ジャン1世の葬式。

中世ヨーロッパの乳幼児死亡率は高く、ジャンの死因の可能性は多いが、毒殺の噂がジャンの崩御の直後に広まった(そのうち1つは、おばに針で刺殺されたというものである)[3]。というのも、ジャンの崩御で利益を得る者は多く、ジャンの父ルイ10世がジュ・ド・ポームの後に急死という疑わしい状況だったことからうわさが広まった。現代でもジャンの死因は知られていない[4]

当時はフランス王の一人とは扱われなかったが、後世の歴史家や年代記作家が後に即位した同名の王をジャン2世と数えたことから、現代ではフランス王であることが認められている[5]

脚注

  1. ^ 佐藤、p. 230
  2. ^ 佐藤、p. 231
  3. ^ "Magnificent Monarchs" (Fact Attack series) p. 23 by Ian Locke; published by MacMillan in 1999; ISBN 978-0330-374965
  4. ^ Histoire et secrets. “Histoire et Secrets - découvrir l'histoire de France et du monde - Jean Ier : un règne de quatre jours” (フランス語). histoire-et-secrets.com. 2017年6月25日閲覧。
  5. ^ Giesey, Ralph E. (2007). Le rôle méconnu de la Loi Salique: La succession royale, XIVe-XVIe siècles. Paris: Les Belles Lettres 

参考文献

  • 佐藤賢一 『ヴァロワ朝 フランス王朝史 2』 講談社現代新書、2014年。
先代
ルイ10世
フランス国王
1316年
次代
フィリップ5世



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