サンチョ6世_(ナバラ王)とは? わかりやすく解説

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サンチョ6世 (ナバラ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 10:00 UTC 版)

サンチョ6世
Sancho VI
ナバラ国王
在位 1150年 - 1194年

出生 1133年
死去 1194年6月27日
ナバラ王国パンプローナ
配偶者 サンチャ・デ・カスティーリャ
子女 一覧参照
家名 ヒメノ家
王朝 ヒメノ朝
父親 ガルシア6世
母親 マルガリータ・デ・ライグレ
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サンチョ6世のシール

サンチョ6世スペイン語Sancho VI, 1133年頃 - 1194年6月27日)は、ナバラ王国国王(在位:1150年 - 1194年)。「賢王」(el Sabio)あるいはサンチョ・ガルセスSancho Garces)とも呼ばれる。ガルシア6世と王妃マルガリータ(Margarita de l'Aigle)の息子。

生涯

1150年に父の後を嗣いで王位に即いた。サンチョ6世は、称号から「パンプローナの」を除いて単に「ナバラ王」を名乗るようになった。1180年ギプスコアの港町サン・セバスティアンフエロ(特権)を与え、海運・通商を法制化して発展を図った。ナバラはサン・セバスティアンに見られるようにフエロによる都市化が進んだ[1]

また彼の治世はアラゴン王国カスティーリャ王国との対立で占められた。1168年にアラゴン王アルフォンソ2世と密約を交わし、バレンシア王兼ムルシアイブン・マルダニーシュスペイン語版(通称ローボ王)の領土分割を画策して侵攻したこともあったが[2]1164年に妻の甥に当たる幼少のカスティーリャ王アルフォンソ8世に狙いをつけ、レオンフェルナンド2世と結託して東のラ・リオハへ侵入すると、1173年にアラゴン・イングランドヘンリー2世の協力を取り付けたアルフォンソ8世に反撃され、同年にカスティーリャが有利になる形で和睦した[3]

しかし、1190年にカスティーリャに反発したアルフォンソ2世と同盟を結び、翌1191年ポルトガルサンシュ1世・レオン王アルフォンソ9世を加えた反カスティーリャ同盟を成立させた[4]。また同年、カスティーリャへの対抗から隣接するアキテーヌ公も兼ねていたイングランド王リチャード1世と娘のベレンガリアを結婚させ、リチャード1世からバス=ナヴァール(現在のフランス領バスク)を与えられた[5]

サンチョ6世は1194年6月27日にパンプローナで死去し、長子サンチョ7世が王位を嗣いだ。

子女

1157年にカスティーリャ王アルフォンソ7世の王女サンチャと結婚し、以下の子女をもうけた。

脚注

  1. ^ バード、P67、P82。
  2. ^ ローマックス、P155
  3. ^ 芝、P128 - P129、西川、P135 - P136。
  4. ^ 芝、P130、西川、P137。
  5. ^ バード、P67 - P68。

参考文献

  • レイチェル・バード著、狩野美智子訳『ナバラ王国の歴史 山の民バスク民族の国彩流社、1995年。
  • D.W.ローマックス著、林邦夫訳『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動刀水書房、1996年。
  • 芝修身『真説レコンキスタ <イスラームVSキリスト教>史観をこえて書肆心水、2007年。
  • 西川和子『スペイン レコンキスタ時代の王たち 中世800年の国盗り物語彩流社、2016年。

関連項目




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