ブロワ家
ブロワ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:35 UTC 版)
ウード1世(1022年 - 1037年) - ブロワ伯(2世)。ブロワ伯ウード1世の息子。エティエンヌ1世の再従兄弟。 エティエンヌ2世(1037年 - 1048年) - ブロワ伯。ウード1世の息子。 ウード2世(1048年 - 1066年) - ブロワ伯(3世)。エティエンヌ2世の息子。のちオマール伯。 ティボー1世(1066年 - 1089年) - ブロワ伯(3世)。エティエンヌ2世の兄。 ウード3世(1089年 - 1093年) - ティボー1世の息子。 ユーグ(1093年 - 1125年) - ウード3世の弟。 ティボー2世(1125年 - 1152年) - ユーグの甥。イングランド王スティーブンの兄。ブロワ伯を兼ねる。ルイ7世と抗争するが、後に娘アデルをルイ7世の3番目の妻とし、和解する。間に生まれたフィリップ2世の外祖父に当たる。大伯爵と称される。 アンリ1世(1152年 - 1181年) - ティボー2世の息子。領内の統治を心がけ、シャンパーニュ伯領をフランス有数の経済的、軍事的に豊かな土地に育てた。ルイ7世とアリエノール・ダキテーヌの娘マリーと結婚する。このため、フィリップ2世は甥でかつ義兄弟ということになる。また、イングランド王リチャード1世、ジョンの義兄弟でもある。自由伯と称される。 アンリ2世(エルサレム王)(1181年 - 1197年) - アンリ1世の息子。第3回十字軍に参加、エルサレム女王イザベル1世と結婚し、エルサレム王となる。母マリーの関係から、第3回十字軍に参加したイングランド王リチャード1世、フランス王フィリップ2世の両方の甥に当たる。 ティボー3世(1197年 - 1201年) - アンリ2世の弟。兄がエルサレム王になった後、シャンパーニュ伯となる。第4回十字軍の指導者となるが出発前に病没。第4回十字軍の詳細な記録を残したジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアンの主人。 ティボー4世(1201年 - 1253年) - ティボー3世の息子、ナバラ王テオバルド1世。継承後はアンリ2世の遺児たちとの家督争いに悩まされる。さらにルイ8世と対立し、ルイ8世を毒殺したと噂された。ルイ8世の妃ブランシュとの宮廷愛でも有名。後年、ナバラ王家が断絶した際、母がナバラ王女だったためナバラ王となる。詩人王と称される。 ティボー5世(1253年 - 1270年) - ナバラ王テオバルド2世。ティボー4世の息子。若年王。 アンリ3世(1270年 - 1174年) - ナバラ王エンリケ1世。ティボー5世の弟。肥満王。 ジャンヌ(1274年 - 1305年) - ナバラ女王フアナ1世。アンリ3世の娘。フランス王フィリップ4世の王妃。 ルイ(1305年 - 1314年) - フランス王ルイ10世。フィリップ4世とジャンヌの息子。 1314年、フランス王位に統合された。
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