ブルターニュ継承戦争の勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/07 05:08 UTC 版)
「モーロンの戦い」の記事における「ブルターニュ継承戦争の勃発」の解説
1341年、後継者を指定せずに死去したジャン3世の異母弟のジャン・ド・モンフォールと、同母弟ギーの娘のパンティエーヴル女伯ジャンヌの間の相続権争いがきっかけとなり、ブルターニュ継承戦争が勃発した。ジャンヌの夫でブロワ家(シャティヨン家)出身のシャルル・ド・ブロワは、母がフランス王フィリップ6世の妹であったため、フランスはブロワ家側を支援し、百年戦争でフランスと戦っていたイングランド王国のエドワード3世はモンフォール家を支援したため、英仏両国の代理戦争に発展した。 ジャン・ド・モンフォールがシャントソーの戦いで敗れて捕虜になったことで早々に決着がついたかに思われたが、徹底抗戦を唱えた妻ジャンヌ[要曖昧さ回避]がイングランドの援軍到着まで持ちこたえて戦争は長引くことになる。ジャン・ド・モンフォールはその後1345年に病死し、1347年にはブロワ派のシャルル・ド・ブロワがラ・ロッシュ=デリアンの戦いに敗れて捕虜となったためモンフォール派、ブロワ派ともに当主がいなくなる。モンフォール派はモンフォール伯妃ジャンヌ、ブロワ派はパンティエーヴル女伯ジャンヌの下で抗争を続けたため、「2人のジャンヌの戦い」とも呼ばれる。
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