フアナ1世_(ナバラ女王)とは? わかりやすく解説

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フアナ1世 (ナバラ女王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 10:03 UTC 版)

フアナ1世
Juana I
ナバラ女王
在位 1274年7月22日 - 1305年4月2日
別号 シャンパーニュ女伯

フランス王妃
在位 1285年10月5日 - 1305年4月2日

出生 1271年4月17日/1273年1月14日
フランス王国、バル=シュル=セーヌ
死去 1305年4月2日
フランス王国ヴァンセンヌ城
埋葬 フランス王国パリ、コルドリエ修道院
配偶者 フランス王フィリップ4世
子女 ルイ10世
フィリップ5世
シャルル4世
イザベル
家名 シャンパーニュ家
父親 エンリケ1世
母親 ブランシュ・ダルトワ
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フアナ1世

フアナ1世スペイン語Juana I1271年4月17日 - 1305年4月2日)は、ナバラ女王およびシャンパーニュ女伯(在位:1274年 - 1305年)。シャンパーニュ伯としてはジャンヌフランス語Jeanne)。エンリケ1世とその妃ブランカ(ブランシュ・ダルトワルイ9世の弟・アルトワ伯ロベール1世の娘)の一人娘。後にフランスフィリップ4世の王妃となった。

生涯

1274年、父王エンリケ1世(シャンパーニュ伯アンリ3世)の死去により王位と伯位を継承した。幼少だったので母親が摂政として政務を執ったが、幼い女王に女性の摂政、さらに相続人の少なさといった点がナバラ内外の対立勢力に付け込まれることとなった。そこで母子はフランス王フィリップ3世に庇護を求めた[1]1284年8月16日にフアナは王太子フィリップ(後のフィリップ4世、ナバラ王としてはフェリペ1世)と結婚して共同統治を行ない、以後およそ半世紀にわたってナバラとフランスは同君連合となった。フィリップとの間に、ルイ(スペイン語名ルイス、後のルイ10世)、フィリップ(フェリペ、後のフィリップ5世)、シャルル(カルロス、後のシャルル4世)、イザベル(イサベル、イングランドエドワード2世妃)らをもうけた。

1305年にフアナは死去、セーヌ左岸のコルドリエ修道院フランス語版に埋葬された。フアナの死因はその状況が不可解なものだったため、フィリップ4世によって暗殺されたのだと主張する歴史家もいる。

脚注

  1. ^ バード、p. 106

参考文献

  • レイチェル・バード 『ナバラ王国の歴史』 彩流社、1995年

関連項目

先代
アンリ3世(肥満伯)
シャンパーニュ女伯
1274年 - 1305年
次代
ルイ(即位により王領編入)





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