フアナ・エンリケスとは? わかりやすく解説

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フアナ・エンリケス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/21 04:30 UTC 版)

フアナ・エンリケス
Juana Enríquez
ナバラ王妃
アラゴン王妃
シチリア王妃
ポブレー修道院にある、フアナ・エンリケスの墓碑
在位 ナバラ王妃:1444年 - 1468年
アラゴン王妃:1458年 - 1468年
シチリア王妃:1458年 - 1468年

出生 1425年
カスティーリャ=レオン王国、トレロバトン
死去 1468年2月13日
アラゴン連合王国
カタルーニャ君主国タラゴナ
埋葬 アラゴン連合王国
カタルーニャ君主国ポブレー修道院
結婚 1444年4月1日 トレロバトン
配偶者 アラゴンフアン2世
子女 フェルナンド2世
フアナ
家名 エンリケス家
父親 メルバ伯・ルエダ伯ファドリケ・エンリケス
母親 マリアナ・デ・コルドバ
宗教 ローマ・カトリック
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フアナ・エンリケス(Juana Enríquez, 1425年 - 1468年2月13日)は、アラゴンフアン2世の王妃で2度目の妻。父はカスティーリャの貴族でエンリケ2世王の弟ファドリケ・アルフォンソの子孫であるメルバ伯およびルエダ伯ファドリケ・エンリケス、母はマリアナ・デ・コルドバである。

1444年にフアンと結婚し、1男1女をもうけた。

フアンは1441年に先妻であるナバラ女王ブランカ1世を亡くしていた。この最初の結婚によってフアンもナバラ王となっていたが、ブランカの死後に嫡子であるビアナ公カルロスが継ぐべき王位を譲ろうとせず、父子の対立からナバラでは内乱となった。後妻であるフアナ・エンリケスが新たな息子フェルナンドを生んだことで、対立はいっそう激しくなった。

1468年、夫に先立って死去した。





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