フアン2世と後継者を巡る内乱とは? わかりやすく解説

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フアン2世と後継者を巡る内乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 01:24 UTC 版)

ナバラ王国」の記事における「フアン2世と後継者を巡る内乱」の解説

ナバラ女王ブランカ1世の夫フアン2世は、たびたび外征重ねる兄アルフォンソ5世に代わってアラゴン統治しナバラ統治長男ビアナ公カルロス任せたブランカは夫に先立って死去した際、カルロスが父の同意の下にナバラ王位継承するよう遺言したが、フアン同意与えずナバラ王位継承法反して王位とどまったカルロスには総督地位のみが授けられた。1450年フアンナバラ自身統治下に戻し野心家後妻フアナ・エンリケスから、彼らの間に生まれた息子フェルナンド(のちのカトリックフェルナンド)をアラゴンおよびナバラ王位継承者とするように執拗に迫られた。その結果、王と王妃支持した強力なアグラモンテス党と、カルロス主張賛同した大臣ボーモントフアン指導者とし、その名に由来するベアウモンテス党との間で激し内乱勃発したナバーラ内戦)。高地王太子の側に、平野が王の側にあった不幸な王太子は、1451年アイバルで父に敗れ2年投獄された。その間カルロスは、この事件に関する現在の知識典拠となったナバラ年代記書いたカルロス釈放後、フランス王シャルル7世伯父アルフォンソ5世ナポリ在住)の支援むなしく求めた1460年継母そそのかしによりカルロスは再び投獄された。しかし、カタルーニャ人々がこの不正に抗議し暴動起こしたカルロスは再び解放されカタルーニャ総督任命された。カルロスナバラ王国奪回することができないまま、1461年死去した。彼は相続人として同母ブランカ指名した。しかし、ブランカフアン2世によって直ち投獄され1464年死去したブランカ権利は、フアン2世同盟者であるフォワ伯兼ベアルンガストン4世夫人となっていた、同母妹のレオノール受け継がれた。レオノールフアン2世死後間もなく死去したため、1479年にほんの僅か玉座にあっただけだが、彼女が死んだ後はその孫であるフォワ家フランシスコ・フェボ在位1479年 - 1483年)が王位継承した早世したフランシスコも、次に王位就いたその妹カタリナ未成年者だったため、2人の母であるフランス王シャルル7世王女マドレーヌ摂政続けた

※この「フアン2世と後継者を巡る内乱」の解説は、「ナバラ王国」の解説の一部です。
「フアン2世と後継者を巡る内乱」を含む「ナバラ王国」の記事については、「ナバラ王国」の概要を参照ください。

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