ブランシュ・ダルトワとは? わかりやすく解説

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ブランシュ・ダルトワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 16:27 UTC 版)

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ブランシュ・ダルトワ
Blanche d'Artois
ナバラ王妃
ブランシュのシール
在位 1270年 - 1274年

別称 ランカスター伯妃(1276年 - 1296年)
出生 1248年
死去 1302年5月2日
フランス王国パリ
埋葬 フランス王国エーヌ、ノージャン=ラルト
結婚 1269年 ムラン
1276年 パリ
配偶者 ナバラエンリケ(アンリ)1世
  初代ランカスター伯エドマンド
子女 テオバルド
フアナ
トマス
ヘンリー
ジョン
メアリー
家名 アルトワ家
父親 アルトワロベール1世
母親 マティルド・ド・ブラバン
宗教 ローマ・カトリック
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ブランシュ・ダルトワ:Blanche d'Artois, 1248年 - 1302年5月2日)は、ナバラエンリケ(アンリ)1世の王妃。後にイングランドエドワード1世の弟エドマンドと再婚した。スペイン語名はブランカ・デ・アルトワ(Blanca de Artois)、英語名はブランチ・オブ・アルトワ(Blanche of Artois)。父はフランスルイ9世の弟アルトワロベール1世、母はブラバント公アンリ2世の娘マティルド。フランス王フィリップ3世およびその2人目の王妃マリー・ド・ブラバンにとって共通の従姉妹にあたる。

生涯

1269年にエンリケ1世と結婚し、1男1女をもうけたが、男子は夭逝した。

  • テオバルド(ティボー) - 夭逝
  • フアナ(ジャンヌ、1271年頃 - 1305年) - ナバラ女王

エンリケが1274年に死去し、娘フアナが王位を継承すると、ブランシュは摂政となった。ブランシュはフランス王フィリップ3世に庇護を求め、フアナはフィリップ3世の息子フィリップ4世と結婚し、カペー朝末期におけるナバラとフランスの同君連合が成立することになる。

一方、ブランシュは1276年にイングランド王族である初代ランカスター伯エドマンドと再婚した。エドマンドも1274年に最初の妻を亡くし、子供もいなかった。ブランシュはエドマンドとの間に3男1女をもうけた。

  • トマス(1278年頃 - 1322年) - 第2代ランカスター伯
  • ヘンリー(1281年 - 1345年) - 第3代ランカスター伯
  • ジョン(1282年頃 - 1327年)
  • メアリー(1284年頃 - 1289年)




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