エンリケ1世 (ナバラ王)とは? わかりやすく解説

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エンリケ1世 (ナバラ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 10:02 UTC 版)

エンリケ1世
Enrique I
ナバラ国王
在位 1270年 - 1274年
戴冠式 1273年5月
別号 シャンパーニュ伯

出生 1244年
死去 1274年7月22日
ナバラ王国パンプローナ
埋葬 ナバラ王国パンプローナ大聖堂
配偶者 ブランシュ・ダルトワ
子女 テオバルド3世
フアナ1世
家名 シャンパーニュ家
父親 テオバルド1世
母親 マルグリット・ド・ブルボン=ダンピエール
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エンリケ1世スペイン語Enrique I, 1244年頃 - 1274年7月22日)は、ナバラおよびシャンパーニュ伯(在位:1270年 - 1274年)。シャンパーニュ伯としてはアンリ3世フランス語Henri III)。「肥満王」(スペイン語:el Gordo、フランス語:le Gros)と呼ばれる。ナバラ王テオバルド1世(シャンパーニュ伯ティボー4世)と妃マルグリット・ド・ブルボンの次男。

生涯

1270年12月、エンリケ1世は子に恵まれなかった長兄テオバルド2世の死去により、王位と伯位を相続した。しかし翌年3月になるまで即位の布告はなされず、戴冠式も1273年5月まで行なわれなかった。1274年7月、エンリケ1世は死去した。エンリケ1世の治世は短かったが、高潔で有能な君主であったといわれている。死因は肥満であったという[1]

エンリケ1世には1269年に結婚した王妃ブランカ(ブランシュ・ダルトワルイ9世の弟アルトワ伯ロベール1世の娘)との間に一女フアナ(フランス語名ジャンヌ)がいるだけで、シャンパーニュ=ナバラ系ブロワ家の男系男子は絶えた。王位を嗣いだフアナ1世は1284年フランス王太子フィリップ(翌年にフィリップ4世として即位)と結婚し、以後半世紀ほどナバラとフランスは同君連合となった。

ダンテの『神曲』では、さまざまな13世紀ヨーロッパの君主たちとともにエンリケ1世は煉獄の門の外で登場する。

子女

ブランカとの間に1男1女がいたが、息子は早世した。

  • テオバルド3世(1270年 - 1273年) - エステリャの城で窓から落ちて死去[1]
  • フアナ1世(1271年 - 1305年) - ナバラ女王(1274年 - 1305年)、フランス王フィリップ4世と結婚。

脚注

  1. ^ a b バード、p. 106

参考文献

  • レイチェル・バード 『ナバラ王国の歴史』 彩流社、1995年

関連項目

先代
ティボー5世
シャンパーニュ伯
1270年 - 1274年
次代
ジャンヌ



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