パンプローナ大聖堂とは? わかりやすく解説

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パンプローナ‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【パンプローナ大聖堂】

読み方:ぱんぷろーなだいせいどう

《Catedral de Santa María de Pamplonaスペイン北東部ナバラ州都市パンプローナにあるゴシック様式大聖堂正式名称サンタマリア‐デ‐パンプローナ大聖堂。14世紀から15世紀にかけて建造正面入口18世紀末作られたもので、バロック様式新古典主義様式混在するナバラ王カルロス3世と妃の墓がある。


パンプローナ大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 14:03 UTC 版)

パンプローナ大聖堂
基本情報
所在地 スペインナバーラ州パンプローナ
座標 北緯42度49分10.93秒 西経1度38分27.57秒 / 北緯42.8197028度 西経1.6409917度 / 42.8197028; -1.6409917座標: 北緯42度49分10.93秒 西経1度38分27.57秒 / 北緯42.8197028度 西経1.6409917度 / 42.8197028; -1.6409917
宗教 ローマ・カトリック
地区 パンプローナ・トゥデラ大司教区
教会的現況 大聖堂
建設
形式 カトリック教会
様式 新古典主義建築, ゴシック建築, ロマネスク建築, バロック建築, ルネサンス建築
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パンプローナ大聖堂スペイン語: Catedral de Pamplona)は、スペインナバーラ州パンプローナにあるローマ・カトリック大聖堂。正式名称はサンタ・マリア・ラ・レアル大聖堂スペイン語: Catedral de Santa María la Real)。

歴史

大聖堂が建っている場所は、古代ローマ時代のポンパエロ(パンプローナの旧称)の都市の旧市街中心部である。もともとこの地にあったローマ・カトリックの教会は、イスラーム国家である後ウマイヤ朝アブド・アッラフマーン3世が侵攻した924年に取り壊された。再びカトリックがパンプローナを支配すると、ナバーラ王サンチョ3世(1004年-1035年)の時代に教会が再建された。しかしこの教会は1083年から1097年に取り壊され、1100年から1127年にはロマネスク建築の教会が建設された。

1391年にはこの教会が崩壊したため、1394年には現行のゴシック建築の大聖堂の建設が開始され、1501年に完成した。歴代のナバーラ王国の国王はパンプローナ大聖堂で戴冠し、一部の国王はパンプローナ大聖堂に埋葬されている。近世まではナバーラ地方のコルテス(議会)がパンプローナ大聖堂で開催されていた。ファサードは新古典主義建築であり、1783年にベントゥーラ・ロドリゲス英語版によって設計された。

1931年6月3日には重要文化財(BIC)に指定された。1993年にはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路ユネスコ世界遺産に登録され、パンプローナ大聖堂は構成遺産のひとつとなった。

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