カルロス3世 (ナバラ王)とは? わかりやすく解説

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カルロス3世 (ナバラ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 10:05 UTC 版)

カルロス3世
Carlos III
ナバラ国王
在位 1387年 - 1425年

出生 (1361-07-22) 1361年7月22日
フランス王国マント=ラ=ジョリー
死去 (1425-09-08) 1425年9月8日(64歳没)
ナバラ王国オリテ
埋葬 ナバラ王国パンプローナ大聖堂
配偶者 レオノール・デ・トラスタマラ
子女 一覧参照
家名 エヴルー家
父親 カルロス(シャルル)2世
母親 ジャンヌ・ド・ヴァロワ
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カルロス3世スペイン語Carlos III, 1361年7月22日 - 1425年9月8日)は、ナバラ王国国王(在位:1387年 - 1425年)およびエヴルー伯(エヴルー伯としてはシャルル3世フランス語Charles III), 在位:1387年 - 1404年)、後にヌムール公(在位:1404年 - 1425年)。「高貴王」(el Noble)と呼ばれる。

カルロス(シャルル)2世(邪悪王)とその王妃だったフランスジャン2世の王女ジャンヌ(スペイン語名フアナ)の子。モルタン伯ピエールブルターニュジャン4世妃、イングランドヘンリー4世ジャンヌの兄。

生涯

1387年、父王カルロス2世の死去によって王位・伯位に即いた。

カルロス3世は父の治世に失われた国威の回復と領内の基盤整備に努めた。外交では対立関係にあったフランス・カスティーリャとの改善に努力し、カスティーリャとは王女エレオノール(レオノール)との結婚で手を結び[1]、フランスとは1404年にフランス王家(ヴァロワ朝)との緊張の原因になっていたノルマンディー地方のエヴルーアヴランシュをヌムール公領と交換、シェルブールシャンパーニュの権利を年金と交換して関係を改善した[2]

フランスの内乱(ブルゴーニュ派アルマニャック派の対立)ではブルゴーニュ派と組み、1409年3月にシャルトルで行われたブルゴーニュジャン1世(無怖公)とオルレアン公シャルルの和解式に出席、11月に無怖公と同盟を結んだが、内乱とは関わっていない[3]

芸術を愛好していたカルロス3世はフランスから画家・建築家を招き、首都パンプローナと郊外のオリテゴシック様式の建造物を作った。パンプローナには大聖堂を改築、オリテには既存のオリテ王宮スペイン語版1401年から大改修を行い、1420年に完成した時は複数の塔と庭園を備えた王家憩いの場として作り替えられた。また、パンプローナの自治体の紛争に介入し、1423年に3つの自治体を統合、パンプローナは1つの行政機関にまとまることになった。他には、複雑なナバラの法律を修正し1418年に発布したり、支持層の貴族へ特権を与えたりして貴族寄りの政策を取っている[1][4]

晩年は後継者選びに苦労し、息子が夭折したため長女ブランカ(後のブランカ1世)を後継者に定め、結婚相手にアラゴン王子フアン(後のフアン2世)を選んだ。2人は1419年に結婚、間に生まれた孫カルロスビアナ公位を与えて夫妻の王位継承者に決める一方、フアンには結婚の条件として家臣はナバラ人のみ、勝手にナバラの土地を配分することを禁じている。

1425年、64歳で死去。ブランカ1世・フアン夫妻がナバラ王位を嗣いだ。しかし、1441年にブランカ1世が死去すると、遺言でビアナ公カルロスをナバラ王位継承者に指名したが、フアンはこれに反対してカルロスに王位を与えず、自らが単独でナバラを統治することを決めたため、反発したカルロスが反乱を起こし、父子の深刻な対立でナバーラ内戦が勃発した[5]

子女

1375年にカスティーリャエンリケ2世の娘エレオノール(レオノール)と結婚し、6女と2男をもうけたが、男子はいずれも夭逝した。

  • ブランシュ(ブランカ、1385年 - 1441年) - ナバラ女王ブランカ1世、アラゴン王子フアン(後のフアン2世)と結婚。
  • ジャンヌ(フアナ、1386年 - 1413年) - 1402年にフォア伯ジャン1世と結婚
  • マリー(マリア、1388年 - 1425年)
  • マルグリット(マルガリータ、1390年 - 1425年)
  • ベアトリス(1392年 - 1415年) - 1406年にラ・マルシュ伯ジャック2世と結婚
  • イザベル(イサベル、1395年 - 1435年) - 1419年にアルマニャック伯ジャン4世と結婚
  • シャルル(カルロス、1397年 - 1402年) - ビアナ公
  • ルイ(ルイス、1402年) - ビアナ公

脚注

  1. ^ a b イエロ、P88。
  2. ^ バード、P122、朝治、P258 - P259。
  3. ^ 清水、P85 - P86。
  4. ^ バード、P122 - P124、イエロ、P90 - P91。
  5. ^ バード、P124 - P128、イエロ、P88 - P89。

参考文献

  • 清水正晴『ジャンヌ・ダルクとその時代』現代書館、1994年。
  • レイチェル・バード著、狩野美智子訳『ナバラ王国の歴史 山の民バスク民族の国彩流社、1995年。
  • 朝治啓三・渡辺節夫・加藤玄編著『中世英仏関係史1066-1500 ノルマン征服から百年戦争終結まで創元社、2012年。
  • マリア・ピラール・ケラルト・デル・イエロ著、青砥直子・吉田恵訳『ヴィジュアル版 スペイン王家の歴史』原書房、2016年。
先代
シャルル邪悪伯
エヴルー伯
1387年 - 1404年
次代
(ヌムール公領と交換)
先代
(エヴルー伯領と交換)
ヌムール公
1404年 - 1425年
次代
エレオノール・ド・ブルボン



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