ブランカ1世_(ナバラ女王)とは? わかりやすく解説

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ブランカ1世 (ナバラ女王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 13:44 UTC 版)

ブランカ1世
Blanca I
ナバラ女王
在位 1425年 - 1441年
別号 シチリア王妃

出生 (1387-07-06) 1387年7月6日
ナバラ王国パンプローナ
死去 (1441-04-01) 1441年4月1日(53歳没)
カスティーリャ王国、サンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ニエバ
埋葬 カスティーリャ王国、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・ソテラニャ修道院
配偶者 シチリア王マルティーノ1世
  フアン・デ・アラゴン(後のフアン2世)
子女 マルティーノ
カルロス
フアナ
ブランカ
レオノール
家名 エヴルー家
父親 カルロス(シャルル)2世
母親 ジャンヌ・ド・ヴァロワ
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ブランカ1世(Blanca I, 1387年7月6日 - 1441年4月1日)は、ナバラ王国女王(在位:1425年 - 1441年)。ナバラ王カルロス3世(シャルル3世、エヴルー伯)とカスティーリャエンリケ2世の娘レオノールの長女。フランス名ブランシュ・ド・ナヴァール(Blanche de Navarre)、イタリア名ビアンカ・ディ・ナヴァッラ(Bianca di Navarra)。

生涯

はじめシチリアマルティーノ1世アラゴンマルティン1世の子)と、1402年に結婚した。2人の間に生まれたマルティーノ(1403年 - 1407年)が夭逝した後、マルティーノ1世も1409年に死去した。シチリア王位はマルティン1世がマルティーノ2世として継承した。

10年後の1419年、アラゴン王フェルナンド1世の次男フアン(後のアラゴン王フアン2世)と再婚した。フェルナンド1世はマルティン1世の甥で先夫の従弟であり、ブランカの母方の従兄であった。1425年に父が死去した際、男子がいずれも夭逝していたため、長女であるブランカがナバラ王位を継承し、夫フアンもナバラ王となった。

2人は1男3女をもうけた。

1441年にブランカが死去した後、夫が単独のナバラ王となった。だが、ブランカが遺言で王位を長男カルロスに譲ると表明したにもかかわらず、フアンが王位を譲らなかったため、父子は対立し内戦が勃発した。フアンは1444年フアナ・エンリケスと再婚、1458年に兄アルフォンソ5世の王位も継承してアラゴン王フアン2世となった。




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