フェリペ3世 (ナバラ王)とは? わかりやすく解説

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フェリペ3世 (ナバラ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 07:04 UTC 版)

フェリペ3世
Felipe III
ナバラ国王
在位 1328年 - 1343年(フアナ2世と共治)
戴冠式 1329年

出生 (1306-03-27) 1306年3月27日
死去 (1343-09-16) 1343年9月16日(37歳没)
カスティーリャ王国ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ
埋葬 ナバラ王国パンプローナ大聖堂
配偶者 フアナ(ジャンヌ)2世
子女 一覧参照
家名 エヴルー家
父親 エヴルー伯ルイ
母親 マルグリット・ダルトワ
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フェリペ3世スペイン語Felipe III, 1306年3月27日 - 1343年9月16日)は、ナバラ女王フアナ(ジャンヌ)2世の共同統治王(在位:1328年 - 1343年)。フランス貴族のエヴルー伯でもあったため、フィリップ・デヴルーフランス語Philippe d'Évreux)とも呼ばれる。

概要

フランス王フィリップ3世の息子エヴルー伯ルイとその妃マルグリットの息子。このためカペー家の傍流としてフランス王位継承権を持っていた。

1319年、父ルイの死去により、ノルマンディー地方にあるエヴルー伯領を相続した。また、従兄にあたるフランス王ルイ10世の王女ジャンヌと結婚し、ジャンヌがナバラ女王フアナ2世として即位すると、ナバラ王国の共同統治王となった。彼女はナバラ王国のみならずフランス北部に広い領地があり、夫妻はその血統と相まってフランスに対しても影響力を持っていた。1334年に王夫妻はフランスに戻り、ナバラは総督により統治された[1]

1343年、フィリップはレコンキスタに参加している最中に負傷し、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラアンダルシア州)で死去した[2]

子女

ジャンヌとの間に8人の子供をもうけた(名はフランス名で記す)。

  • マリー(1329年頃 - 1347年) - アラゴン王ペドロ4世の最初の王妃
  • ブランシュ(1331年 - 1398年) - フランス王フィリップ6世の2番目の王妃
  • シャルル(1332年 - 1387年) - ナバラ王およびエヴルー伯
  • アニェス(1334年 - 1396年) - フォワ伯ガストン3世と結婚
  • フィリップ(1336年 - 1363年) - ロングヴィル伯
  • ジャンヌ(1338年 - 1387年) - 修道女
  • ジャンヌ(1339年 - 1403年) - ロアン子爵ジャン1世の妻
  • ルイ(1341年 - 1372年) - ボーモン=ル=ロジェ伯、ドゥラッツォ公

脚注

  1. ^ バード、pp. 111 - 112
  2. ^ バード、p. 113

参考文献

  • レイチェル・バード 『ナバラ王国の歴史』 彩流社、1995年
先代
ルイ
エヴルー伯
1319年 - 1343年
次代
シャルル



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