イザベル・オブ・グロスターとは? わかりやすく解説

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イザベル・オブ・グロスター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 09:47 UTC 版)

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イザベル・オブ・グロスター
Isabel of Gloucester
グロスター女伯
在位 1183年 - 1199年
1213年 - 1217年

出生 1173年
死去 1217年10月14日
埋葬 イングランド王国カンタベリー大聖堂
配偶者 イングランドジョン
  2代エセックス伯ジェフリー・フィッツジェフリー・ド・マンデヴィル
  初代ケント伯ヒューバート・ド・バラ
父親 2代グロスター伯ウィリアム・フィッツ・ロバート
母親 アヴィーズ・ド・ボーモン
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イザベル・オブ・グロスター(Isabel of Gloucester, 1173年 - 1217年10月14日)は、イングランドジョンの最初の妻。ヘンリー1世の庶系の孫である第2代グロスター伯ウィリアム・フィッツ・ロバート(ロバート・デ・カーンの子)の娘。父が1183年に死去した時、男子の後継者がいなかったため、グロスター伯の称号は一旦消滅したが、1186年に新たにイザベルに与えられた。

生涯

1189年8月29日に王弟ジョンと結婚した。ジョンがイングランド王となったのは1199年であるが、その前後に婚姻の無効ローマ教皇ボニファティウス8世に認められて離婚した(共にヘンリー1世の血を引く又いとこであったことが理由とされた)。イザベルは王妃とは認められず、グロスター伯位も召し上げられた。

召し上げられたグロスター伯位と伯爵領は彼女の姉マーベルの息子のエヴルーアモーリー4世フランス語版 [1]に受け継がれたが、1213年に彼が死ぬとイザベルは再びグロスター伯に封じられた。その後、1214年に第2代エセックス伯ジェフリー・フィッツジェフリー・ド・マンデヴィル英語版と再婚するとジェフリーもグロスター伯を名乗った。

1216年にジェフリーが死に、イザベルは再び未亡人となる。1217年にヒューバート・ド・バラ英語版(後のケント伯)と結婚するが、結婚した1か月後に死んだ。彼女の死後、グロスター伯位は妹アミシー(ハートフォード伯爵夫人)の息子ギルバート・ド・クレア英語版に受け継がれた。

脚注

  1. ^ ジョン王に従っていたためフィリップ2世の攻撃を受けてフランス側の本領エヴルーを失っており、それに対する補償としてグロスター領を与えられた。
先代:
ウィリアム・フィッツ・ロバート
グロスター伯
1183年 - 1199年
次代:
アモーリー4世・デヴルー
先代:
アモーリー4世・ド・エヴルー
グロスター伯
1213年 - 1217年
次代:
ギルバート・ド・クレア



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