領地無し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 06:01 UTC 版)
「ジョン (イングランド王)」の記事における「領地無し」の解説
父王ヘンリー2世は王妃アリエノール(エレアノール)と不仲になり、幼少期に母親からの愛情を受けることが少なかった末子のジョンを最も愛した。1169年、ヘンリー2世はフランス王ルイ7世との協約で、大陸の所領をジョン以外の3人の息子に分割した。当時まだ2歳にもならなかったジョンはその分与から除外され、父ヘンリー2世はジョンに“領地の無いやつ”(John the Lackland, フランス語ではJean sans terre)とあだ名をつけ憐れんだ。 1173年、ジョンはモーリエンヌ伯の娘と婚約するが(この姫は後に亡くなり婚約は消滅)、その際ヘンリー2世は、征服して間もないアイルランド以外にも、大陸領土内のシノン、ルーダン(英語版)・ミルボー(英語版)の3つの城を幼いジョンに与えようとして次男の若ヘンリー王の、また1184年にはアキテーヌ公領を与えようとして三男リチャードの離反を招いた。1177年にジョンは10歳でアイルランド卿を継承するが、その後もアイルランドを統治出来なかった。1188年以降の父王と兄リチャードの争いでは、当初は父についていたが、兄の勝利が確実になると寝返って、父王を大いに失望させその死因になったとも言われる。 1189年、イザベル・オブ・グロスターとの婚姻によりグロスター伯領を継ぎ、さらに兄リチャード1世よりノッティンガム他6州を与えられた。
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