領地の放棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/08 16:34 UTC 版)
寛永19年(1642年)、正茂は遂に勝茂の圧力に耐えかねて藩主の座と領地を捨て、鍋島本家とも義絶して江戸に去った。このため、直朝が第3代藩主になった。 正茂はその後、下総矢作5000石の旗本として幕府に仕え、書院番となっている。貞享3年(1686年)12月18日に死去した。享年81。その後は、正恭、直旨(正恭の子)、長行(鍋島光茂の子)、直弼(水野忠直の子)、直益(直弼の子)、直賢(直益の子)と続く。
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