大陸領土喪失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 06:01 UTC 版)
「ジョン (イングランド王)」の記事における「大陸領土喪失」の解説
1200年にジョンはイザベル・オブ・グロスターと離婚、既に婚約者のいたイザベラ・オブ・アングレームと再婚した。イザベラの婚約者ユーグ9世・ド・リュジニャンは封建主人であるフランス王にこれを訴えたため、1202年にフィリップ2世はジョンを法廷に呼び出した。イングランド王はフランス領においてフランス王の封建臣下であるが、これまで法廷に呼び出されたことはないためジョンは拒絶した。このため、フィリップ2世・アルテュール対ジョンの戦争となった。(詳細はフランスのノルマンディー侵攻 (1202年-1204年)を参照) 当初ジョンは劣勢だったが、1203年にアルテュールがポワチエにいたアリエノールを捕らえようとした際、ジョンは迅速に対応して逆にアルテュールを捕らえた。幽閉されたアルテュールはまもなく消息不明となったため、人々はジョンがアルテュールを殺したと考え、ブルターニュの諸侯はフランス王を頼ってジョンに反旗を翻した。ジョンはフランスにおける人望を既に失っており、フランス王の攻勢の前にノルマンディ・アンジュー・メーヌ・トゥレーヌ・ポワトゥーはほとんど抵抗せずに降伏した。わずかにアキテーヌの中心地であるガスコーニュのみがジョンの下に残った。これは、元々アキテーヌは諸侯の力が強く、彼らは強力なフランス王より弱体化したイングランド王の支配を好んだためとされる。
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