ナポリ‐おうこく〔‐ワウコク〕【ナポリ王国】
ナポリ王国
ナポリ王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 08:23 UTC 版)
「カルロ1世 (シチリア王)」の記事における「ナポリ王国」の解説
以降、ナポリを拠点とするシャルルとペドロ3世の間の戦争が続いた(シチリア晩祷戦争)。シャルルは、ローマ教皇マルティヌス4世にペドロ3世を破門し、甥のフランス王フィリップ3世にアラゴン王位を与えるよう工作し、シャルルの意を受けたフィリップ3世がアラゴンを攻めたが、成果は上がらず、逆に敗北した。1284年のナポリとアラゴンの海戦もシャルル側に利は無く、長男のシャルル2世も捕虜になり、1285年に失意のうちに病死した。同年、フィリップ3世、ペドロ3世、マルティヌス4世も没している。 シャルルの死後は1288年に捕虜から解放されたシャルル2世が後継者となり、以後もシチリア王を称したがシチリアを支配をすることはなく、通常はナポリ王と称される。後にシャルルの曾孫カルロ・ロベルトはハンガリー王となった。この王朝はハンガリー・アンジュー朝と呼ばれる。
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