歴史上の旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/18 16:51 UTC 版)
旗使用時期説明 1282–1442 この旗は、アンジュー=シチリア家がシチリア王国の支配者となり、シチリアとナポリを統治していた時代に用いられていた。 1442–1516 ナポリ王国はアラゴン王国の支配下に置かれた(アラゴン連合王国)。赤と黄色からなるアラゴンの旗「サニェーラ」が用いられたほか、左図のようにアラゴンの旗と、ハンガリー王国の旗(赤・白の横縞)、アンジューの旗、エルサレム王国の旗(白地に十字)を組み合わせた旗も用いられた。 1516–1700 ハプスブルク家のカール5世(カルロ1世)がスペインの諸王位とともにナポリ王位に就く。王国は他のスペイン帝国同様ブルグンド十字(ブルゴーニュ十字。聖アンデレ十字の一種) (Cross of Burgundy) を用いた。 1714–1734 スペイン継承戦争後、オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世がナポリ王国の支配者となった。 1734–1799 ポーランド継承戦争後、ブルボン家(スペイン・ブルボン家)出身のカルロス3世がシチリア王国とナポリ王国を統治した(ナポリ=シチリア・ブルボン朝)。 1799 フランス革命の影響で成立した革命政権・パルテノペア共和国によって掲げられた青・黄・赤の縦三色旗。この旗はフランスの国旗をモデルとしている。 1799–1806 パルテノペア共和国は短命に終わり、ブルボン朝が支配を取り戻した。 1806–1808 ナポリ王国はナポレオン帝国に征服された。ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルト(ジュゼッペ1世)が王を務めたナポリ王国の旗。白・赤・黒の横三色旗が採用されたが、横三色旗と同様縦三色旗も使用された。 1808–1811 ジョアシャン・ミュラ(ジョアッキーノ1世)がナポリ王として統治に当たった時期の第一の旗である。 1811–1815 ジョアシャン・ミュラのナポリ王国が掲げた二つ目の旗。ミュラは公的には「両シチリア王」を名乗っていたため、かつて両シチリア(ナポリとシチリア島)を支配したオートヴィル家の紋章の色(青地に白と赤のチェック模様の帯)を用いている。枠内の左寄りに紋章が置かれた(市民用の旗では紋章を使わなかった)。 1815–1860 ブルボン家はナポリ王国を奪回した。1816年以後、両シチリア王国の旗として使用された。
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歴史上の旗
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旗使用年名称追記 1624–1662 オランダ東インド会社領台湾の旗 オランダ東インド会社の旗と同様 1626–1642 ヌエバ・エスパーニャの旗 1661-1683 鄭氏政権の旗 白地に「鄭」の黒文字とその周りを赤丸で囲ったもの 1890-1895 清の旗 1895 台湾民主国の旗 1895–1945 大日本帝国台湾の旗 国旗国歌法が制定される前に多く使用されていた日章旗である。
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歴史上の旗
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風林火山の旗 織田信長の旗印 開拓使の旗(北辰旗) 韓国統監府の旗(統監旗) アメリカ占領下の琉球の商船旗(琉球船舶旗。国際信号旗の「D旗」) アメリカ占領下の沖縄民政府提案の沖縄旗 連合国軍占領下の日本内地の海軍及び商船旗(国際信号旗の「E旗」) 琉球政府の商船旗
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