スペイン・ブルボン朝
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スペイン・ブルボン朝は、ブルボン家によるスペイン統治を指す。ブルボン家のスペイン語名に基づいてボルボン朝とも呼ぶ。1700年のフェリペ5世の即位に始まり、3度の中断を挟んで、今日のフェリペ6世に至っている。
- ^ 首相官邸. 海外の主な制度及び事例の概要について (PDF) (Report). 2020年3月12日閲覧。
- ^ 「第1部 現代スペインの形成と危機― 1875〜1939年」(『スペイン現代史 模索と挑戦の120年』楠貞義ほか 大修館書店 1996年6月
スペイン・ブルボン家(1700年 - 1808年)
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「スペインの国章」の記事における「スペイン・ブルボン家(1700年 - 1808年)」の解説
アンジュー公フィリップ(後のフェリペ5世)はヴェルサイユでフランス王太子ルイ(グラン・ドーファン)の次男として生まれた。1700年にカルロス2世が死去してスペイン・ハプスブルク家が断絶し、遺言により彼がスペイン王に即位した(その際の紛争はスペイン継承戦争を参照)。 スペイン・ブルボン家の紋章はフェリペ5世即位時に、フランスの紋章家であったクレランボー(Clairambault)によって作成された。このときの紋章はパー・フェスの形式で以下の通りである。 上部はパー・ペイルの形式で、左側がクォータリーの形式で左上と右下がカスティーリャ、右上と左下がレオンの紋章。右側がパー・ペイルの形式で左側にアラゴン、右側にシチリアの紋章。上部の下にはグラナダの国章が入る。 下部はクォータリーの形式で左上にオーストリア、右上にブルグント王国の紋章、左下にブルゴーニュ公国、右下にブラバント公国の紋章を配置したもの。下部の下にはフランドル伯とチロルの紋章が入る。 中央にブルボン家の紋章の盾を配置。
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スペイン・ブルボン(ボルボン)家
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「ブルボン家」の記事における「スペイン・ブルボン(ボルボン)家」の解説
「スペイン・ブルボン朝」も参照 スペインでアブスブルゴ(ハプスブルク)家が断絶した後、1700年にフランスのルイ14世が孫のアンジュー公フィリップ(フェリペ5世)をスペイン王に即位させた。この企てはスペイン継承戦争を招いたが、戦争の結果各国が即位を承認し、ボルボン朝が成立した。1931年にアルフォンソ13世が退位した後、長く王位を失っていたが、1975年に孫のフアン・カルロス1世が即位して王制が復活した。
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